アに栄える。アドナイは雷と電光との十二の車輪をそなえた車に乗ってパリーを過ぎる。シレヌスは驢馬《ろば》に乗ってパリーにはいって来る。これをパリーではランポンノー爺《じい》さんと言う。
 パリーはコスモス(宇宙)と同意義の語である。パリーは、アテネであり、ローマであり、シバリスであり、エルサレムであり、パンタンである。パリーにはあらゆる文明が概括され、またあらゆる野蛮が概括されている。パリーは一つの断頭台を欠いても気を悪くするであろう。
 グレーヴ処刑場の少しを有するはいいことである。そういう香味がなかったならば、この永久の祭典はどうなるであろう。われわれの法律は賢くもそこにそなわっている、そしてそれによって、この肉切り包丁はカルナヴァル祭最終日に血をしたたらせる。

     十一 嘲笑《ちょうしょう》し君臨す

 パリーに限界があるか、否少しもない。おのれが統御する者らをも時として愚弄《ぐろう》するほどのこの権勢を持っていた都市は、他に一つもない。「喜べ[#「喜べ」に傍点]、アテネ人よ[#「アテネ人よ」に傍点]!」とアレクサンデルは常に叫んでいた。パリーは法律以上のものを、流行を作る
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