喜ばせ、畸形《きけい》も彼を上きげんにし、悪徳も彼の気を慰むる。滑稽《こっけい》でさえあれば、卑しむべき人たるも許されるであろう。偽善でさえも、その最上の卑劣も、彼の気をそこなわない。彼は文学者であるから、バジルの前にも鼻つまみをしない。プリアポスの「しゃくり」を気にしなかったホラチウスのごとく、タルチュフの祈祷《きとう》をも怒らない。世界の各面相はパリーの横顔のうちにある。マビーユの舞踏会はジャニクロムのポリムニア女神のダンスとは言えないが、しかし婦人服売買婦はじっと洒落女《しゃれおんな》を見張っていて、あたかも周旋婦のスタフィラが処女のプラネジオムを待ち伏せしてるようである。コンバの市門はコリゼオムの劇場とは言えないが、しかしシーザーがそこに見物しているかのように人々は勢い込んでいる。シリアの上《かみ》さんはサゲー小母《おば》さんよりも愛嬌《あいきょう》があるだろうが、しかしヴィルギリウスがローマの居酒屋に入り浸ったとするならば、ダビド・ダンジェやバルザックやシャルレなどはパリーの飲食店にはいり込んでいる。パリーは君臨する。天才はそこに燃え出し、赤リボンの道化者《どうけもの》はそ
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