せて、コドリュク・デュクロスを作り出している。
 暴君はほとんど老いることなし[#「暴君はほとんど老いることなし」に傍点]とプルタルコスは言っているけれど、ローマはドミチアヌス皇帝の下におけると同じくシルラの下に自らあきらめて、甘んじてその酒に水を割った。多少正理派のきらいはあるがヴァルス・ヴィビスクスがなした次の賛辞を信ずるならば、チベル川は一つのレテ川([#ここから割り注]訳者注 地獄の忘却の川[#ここで割り注終わり])と言うべきであった。「吾人はグラックス兄弟に対してチベル川を有す[#「吾人はグラックス兄弟に対してチベル川を有す」に傍点]、チベルの水を飲むは反乱を忘るることなり[#「チベルの水を飲むは反乱を忘るることなり」に傍点]。」しかるにパリーは一日に百万リットルの水を飲む。しかしそれにもかかわらず、場合によっては非常ラッパを鳴らし警鐘を乱打する。
 それを外にしては、パリーは善良なる小児である。彼は堂々とすべてを受け入れる。彼はヴィーナスの世界においても気むずかしくはない。そのカリーピージュのヴィーナスはホッテントット式である。彼は一度笑えば、もはやすべてを許す。醜悪も彼
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