ヲればそれ自身に、敬意を欠いている。一八一六年九月五日以後王国の高貴さが受けている待遇は、あたかも一八一四年七月八日以後帝国の高貴さが受けた待遇と同じである。彼らは鷲《わし》に対して不正であったが、吾人は百合《ゆり》の花に対して不正である。かくて人は常に酷遇すべき何かを欲するのであるか。ルイ十四世の王冠の金を去り、アンリ四世の紋章を取り除くことは、有用なことであるか。イエナ橋からNの字([#ここから割り注]訳者注 ナポレオンの頭字[#ここで割り注終わり])を消したヴォーブラン氏を吾人は嘲笑《ちょうしょう》する。しかしいったい彼は何をなさんとしたのであるか。吾人がなしてることと同じことをではないか。マレンゴーと同じくブーヴィーヌも吾人のものである。Nの字と同じく百合の花も吾人のものである。それは吾人のつぐべき遺産である。それを削除することが何のためになるか。現在の祖国と同じく過去の祖国をも否認してはいけない。何ゆえに歴史のすべてを欲してはいけないのか。何ゆえにフランスのすべてを愛してはいけないのか。」
 そういうふうに正理派らは、批評されるのを喜ばずまた弁護されるのを憤っていた勤王主義を
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