iな様子をして言った、「謙遜なそして勇壮な人でした。共和とフランスとにりっぱに仕えました。人間がかつて作った最も偉大な歴史の中の偉人でした。二十五年余りの間露営のうちに暮らしました、昼は砲弾と銃火の下に、夜は雪の中に、泥にまみれ、雨に打たれて暮らしました。軍旗を二つ奪いました。二十余の傷を受けました。そして忘れられ捨てられて死にました。しかもその誤ちと言ってはただ、自分の国と私と、ふたりの忘恩者をあまりに愛しすぎたということばかりでした。」
それはジルノルマン氏の聞くにたえないことだった。共和[#「共和」に傍点]という言葉で彼は立ち上がった、否なおよく言えばつっ立った。そしてマリユスの発する一語一語に、鉄工場の※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《ふいご》の息を炭火の上に吹きかけるようなさまが、その王党の老人の顔に現われた。彼の顔色は薄墨色から赤となり、赤から真紅となり、真紅から炎の色と変じた。
「マリユス!」と彼は叫んだ、「言語道断な奴だ! お前の親父《おやじ》がどんな男だったか、そんなことは私《わし》は知らん。知ろうとも思わん。いっさい知らん、顔も知らん。ただ私が知ってるのは、奴らが皆悪党だったことだけだ。人非人、人殺し、赤帽子、盗人、だけだったことだ。皆そうだ。皆そうだ。私はだれも知らん。皆いっしょにして言うんだ。わかったか、マリユス! お前が男爵だって! ロベスピエールに仕えた奴らは皆山賊だ。ブ…オ…ナ…パルテに仕えた奴らは皆無頼漢だ。正当な国王に背《そむ》き、背き、背いた奴らは皆|謀反人《むほんにん》だ。ワーテルローでプロシア人とイギリス人との前から逃げ出した奴らは皆|卑怯者《ひきょうもの》だ。私が知ってるのはそれだけのことだ。お前の親父さんもその中にいたかどうか、私は知らん。はなはだ気の毒の至りだ。」
こんどはマリユスが炭火で、ジルノルマン氏が※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]となった。マリユスは手足を震わし、どうなるかを知らず、頭は燃えるようだった。彼は聖餐《せいさん》が風に投げ散らされるのを見る牧師のようであり、偶像の上に通行人が唾《つば》してゆくのを見る道士のようだった。そういうことが自分の前で臆面《おくめん》もなく言われるのは許すべからざることのように思われた。しかしどうしたらいいか。父は自分の面前で足下に踏みつけられ踏みにじられた。しかもだれによってであるか。祖父によってではないか。一方を凌辱《りょうじょく》することなくして一方を復讐《ふくしゅう》することがどうしてできよう。祖父を辱《はずか》しむることはできない、また、父の讐《あだ》を報じないで捨ておくことも同じくできない。一方には神聖なる墳墓があり、他方には白髪がある。しばらく彼は酔ったようによろめきながら、頭の中には旋風が渦巻いた。やがて彼は目を上げ、祖父をじっと見つめ、そして雷のような声で叫んだ。
「ブールボン家なんかぶっ倒れるがいい、ルイ十八世の大豚めも!」
ルイ十八世はもう四年前に死んでいた。しかしそんなことは彼にはどうでもよかった。
老人はまっかになっていたが、突然髪の毛よりもなお白くなった。彼は暖炉の上にあったベリー公の胸像の方を向いて、変に荘重な態度で深く礼をした。それから黙ったままおもむろに暖炉から窓へ、窓から暖炉へと、二度|室《へや》の中を横ぎり、石の像が歩いてるように床《ゆか》をぎしぎしさした。二度目の時彼は、年取った羊のように惘然《もうぜん》としてその衝突をながめていた娘の方へ身をかがめて、ほとんど冷静な微笑をたたえて言った。
「この人のような男爵と、私《わし》のような市民とは、とうてい同じ屋根の下にいることはできない。」
そして急に身を起こし、まっさおになり、うち震い、恐ろしい様子になり、恐るべき憤怒の輝きに額を一段と大きくして、マリユスの方に腕を差し伸ばして叫んだ。
「出て行け。」
マリユスは家を去った。
翌日、ジルノルマン氏は娘に言った。
「あの吸血児の所へ六カ月ごとに六十ピストル([#ここから割り注]訳者注 ピストルは金貨にして十フランに当たる[#ここで割り注終わり])だけ送って、もう決してあいつのことを私の前で口にしてはいけません。」
まだ吐き出すべき激怒がたくさん残っており、しかもそのやり場に困って、彼はそれから三カ月以上も続けて、自分の娘に他人がましい冷ややかな口をきいていた。
マリユスの方でもまた、憤って家を飛び出した。そして彼の激昂《げっこう》を強めた一事があったことをちょっと言っておかなければならない。家庭の紛紜《ふんうん》を複雑にするそれらのこまかな不祥事が常にあるもので、たとい根本においてはそのために不正が増大するものではないとしても、損失はそのために大きくな
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