刀Eトンネール枢機官は、元のサンリスの司教で四十人のアカデミー会員のひとりである彼の最も親しい友人ロクロール氏から、T夫人の客間に連れてこられたのである。ロクロール氏は、その背の高い身体とアカデミーへの精励とによって有名だった。当時アカデミーの集会所となっていた図書室の隣の広間のガラス戸越しに、好奇な者らは木曜日には必ず元のサンリスの司教を見ることができた。彼はいつも立っていて、あざやかに化粧をし紫の靴下《くつした》をはき、明らかにその小さなカラーをよく見せんためであろうが、戸に背を向けていたものである。右のような聖職者らは、その大部分教会の人であるとともに宮廷の人だったが、T夫人の客間の荘重な趣をますます深からしめていた。また五人の上院議員、ヴィブレー侯爵、タラリュ侯爵、エルブーヴィル侯爵、ダンブレー子爵、ヴァランティノア公爵らは、客間の貴族的な趣を増さしていた。このヴァランティノア公爵は、モナコ侯すなわち他国の主権者ではあったが、フランスおよび上院議員の位を非常に尊敬していて、その二つを通じてすべてのものを見ていた。「枢機官はローマのフランス上院議員であり[#「枢機官はローマのフランス上院議員であり」に傍点]、卿《ロード》はイギリスのフランス上院議員である[#「イギリスのフランス上院議員である」に傍点]」と言っていたのは彼である。けれども、この世紀には革命は至る所にあるはずであって、この封建的な客間でも、前に言ったとおりひとりの市民が勢力を振るっていた。すなわちジルノルマン氏がそこに君臨していたのである。
実にこの客間のうちに、パリーの白党の本質精髄があった。世に名高い人々は、たとい王党であろうと、そこから遠ざけられていた。名声のうちには常に無政府臭味があるものである。シャトーブリアンがもしそこにはいっていったら、ペール・デュシェーヌ([#ここから割り注]訳者注 民主主義の代表的人物[#ここで割り注終わり])がはいってきたほどの騒ぎをきたしたであろう。けれども、四、五の共和的王政派の人々は、この正教的な社会のうちにはいることを特別に許されていた。ブーニョー伯爵も条件つきで迎えられていた。
今日の「貴族」の客間は、もはやそれらの客間と似寄った点を少しも持たない。今日のサン・ジェルマン郭外には異端派的なにおいがある。現今の王党らは、誉《ほ》むべきことには、もはや
前へ
次へ
全256ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング