サれらの地面のうちの最も狭くそれらの家のうちの最も粗末なものに住んでいた。彼はそこにひとりで寂しく黙々として貧しく暮らしていた。そして若くもなく老年でもなく、美しくも醜くもなく、田舎者《いなかもの》でも町人でもないひとりの女が、彼の用を足していた。彼が自分の庭と称していたその四角な土地は、彼の手に培養さるる美しい花によって、町で評判になっていた。花を作るのが彼の仕事だった。
労力と忍耐と注意とまた桶《おけ》の水とによって、彼は造物主に次いで巧みな創造をすることができた。そして自然から忘られていたようなみごとなチューリップやダリヤを作り出した。彼ははなはだ巧妙だった。アメリカや支那からきた珍しい貴重な灌木《かんぼく》を培養するために小さな石南土の塊《かたま》りを作ることにおいては、スーランジュ・ボダンにもまさっていた。夏には夜明けから庭の小道に出て、芽をさしたり、枝をはさんだり、草を取ったり、水をやったり、花の間を歩き回ったりして、善良な悲しげなまた安らかな様子をし、あるいは夢みるように数時間じっとたたずんでは、木の間にさえずる小鳥の歌やどこかの家からもれる子供の声などに耳を傾け、あるいはまた、草の葉末に宿る露の玉が太陽の光に紅宝玉のように輝くのを見入っていた。彼の食卓はごく質素で、また葡萄酒《ぶどうしゅ》よりも多くは牛乳を飲んでいた。子供に対しても彼は一歩を譲り、召し使いからまでしかられていた。気味悪いくらいに内気で、めったに外出することはなく、顔を合わせる者とてはただ、彼のもとへやってくる貧民どもと、親切な老人である司祭のマブーフ師のみだった。けれども、町の人だのまたは他国の人だのだれであろうと、チューリップや薔薇《ばら》を見たがってその小さな家を訪れて来る時には、彼はほほえんで門を開いてくれた。それがすなわち前に言った「ロアールの無頼漢」だったのである。
それからまた、軍事上の記録や、伝記や、機関新聞や、大陸軍の報告書などを読んだことのある者は、そこにかなりしばしば出て来るジョルジュ・ポンメルシーという名前を頭に刻まれたであろう。そのジョルジュ・ポンメルシーはごく若くしてサントンジュ連隊の兵卒であった。そのうちに革命が起こった。サントンジュ連隊はライン軍に属することになった。王政からの古い連隊は、王政|顛覆《てんぷく》後もなおその地方の名前を捨てないでいて、
前へ
次へ
全256ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング