焉Aその古い潔白の秘密を説明するものとするならしてもいいが、彼女はひとりの槍騎兵《そうきへい》の将校に抱擁されることを、別に不快がりもせずに許していた。それは彼女の甥《おい》の子で、テオデュールという名前だった。
そのかわいがってる槍騎兵がひとりありはしたが、われわれが彼女に与えた似而非貞女[#「似而非貞女」に傍点]という付札は、まったくよく適当していた。ジルノルマン嬢は一種の薄明の魂であった。貞節を装うことは半端《はんぱ》の徳でありまた半端の不徳である。
彼女は貞節を装うことのほかになお狂信癖を持っていた。実によく適当した裏地である。彼女はヴィエルジュ会にはいっており、ある種の祭典には白い面紗《ヴェール》をつけ、特殊な祈祷《きとう》をつぶやき、「聖なる血」を尊び、「聖《きよ》き心」を敬い、普通一般の信者どもには許されない礼拝堂の中で、ロココ・ゼジュイット式の祭壇の前に数時間じっと想を凝らし、そしてそこで、大理石像の群の間に、金箔《きんぱく》をかぶせた木材の大きな円光の輻《や》の中に、自分の心を翔《か》けらせるのであった。
彼女は礼拝堂での友だちをひとり持っていた。同じく年老いた童貞の女で、名前をヴォーボアと言い、全然|愚蒙《ぐもう》な婆さんであって、ジルノルマン嬢はそのそばで一つの俊敏《しゅんびん》な鷲《わし》たるの愉快を感じていた。アグニュス・デイやアヴェ・マリア([#ここから割り注]訳者注 神の羊のものにて人はあるなり云々――めでたしマリアよ恵まるるものよ云々――という祈祷[#ここで割り注終わり])のほかにヴォーボア嬢は、種々な菓子を作る方法を心得てるきりで、他に何らの教養もそなえていなかった。一点の知力の汚点《しみ》もない愚昧《ぐまい》の完全な白紙であった。
なお付記すべきことは、ジルノルマン嬢は老年になるにつれて悪くなるというよりもむしろよくなっていった。それは消極的な性質の者には通例のことである。彼女はかつて意地悪だったことはなかった。意地悪でないというのは一つの相対的な善良さである。それからまた、年ごとに圭角《けいかく》がとれてきて、時とともに穏和になってきた。彼女のうちには言い知れぬ哀愁がこめていて、自分でもその理由を知らなかった。彼女の様子のうちには、まだ初まらないうちに既に終わった一生涯がもつところの茫然《ぼうぜん》自失さがあった。
彼
前へ
次へ
全256ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング