っている。そしてそれも単に個人を現わすのみではなく、その種類を代表しているものである。それらの名前は各、文明の下層に生ずる醜い菌の各種類に相当するものである。
 これらの者は、めったに顔を明るみにさらすことをしないので、往来で普通行き会うような人のうちにはいなかった。昼になると、夜の荒々しい仕事に疲れて眠りに行った。あるいは石灰窯《せきたんがま》[#ルビの「せきたんがま」はママ]の中に、あるいはモンマルトルやモンルージュのすたれた石坑の中に、時としては下水道の中に。彼らは地の中にもぐり込んでいた。
 その後そういう者らはどうなったか? 彼らはやはり存在している。彼らは常に存在していたのである。ホラチウスもその事を語っている、「娼婦[#「娼婦」に傍点]、薬売[#「薬売」に傍点]、乞食[#「乞食」に傍点]、道化役者[#「道化役者」に傍点]。」そして社会が現状のままである間は、彼らもやはり現状のままでいるだろう。その窖《あなぐら》の薄暗い天井の下に、彼らは絶えず社会の下漏《したもれ》から生まれ出て来る。常に同じような妖怪となって現われて来る。ただ彼らの名前と外皮とのみが異なるばかりである。
 個人は消滅するが、その種族は存続する。
 彼らは常に同じ能力を持っている。乞食《こじき》から浮浪人に至るまで、種族はその純一性を保っている。彼らはポケットの中の金入れを察知し、内隠しの中の時計をかぎつける。金や銀は彼らに一種のにおいを放つ。また盗まれたそうな様子をしている人のいい市民もいる。そういう市民を彼らは根気よくつけ回す。外国人や田舎者《いなかもの》が通るのを見れば、彼らは蜘蛛《くも》のように身を震わす。
 ま夜中の頃、人なき街路で、彼らに出会いまたはその影を見る時、人は慄然《りつぜん》とする。彼らは人間とは思われない。生ある靄《もや》でできてるかのような姿をしている。あたかも彼らは常に闇《やみ》と一体をなしており、やみと見分けがつかず、影以外に何らの魂をも持たないかのようである。そして彼らが夜陰から脱け出してくるのはただ一瞬時の間のみであって、しばし恐るべき生命に生きんがためのみであるかのように思われる。
 そういう悪鬼を消散させんには、何が必要であるか。光明である。漲溢《ちょういつ》せる光明である。曙《あけぼの》の光に対抗し得る蝙蝠《こうもり》は一つもない。どん底から社会を
前へ 次へ
全256ページ中163ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング