ラクズーとは何であったか。暗夜そのものであった。彼は空が黒く塗られるのを待って姿を現わした。夜になると穴から出てきたが、夜が明けないうちにまたそこへ引っ込んでいった。その穴はどこにあるか、だれも知ってる者はなかった。まっくらな中ででも、仲間の者にまで背中を向けて口をきいた。そしてクラクズーというのも彼の実際の名前ではなかった。彼は言っていた、「俺《おれ》はパ・デュ・トゥー(皆無)というんだ。」もし蝋燭《ろうそく》の光でもさそうものなら、すぐに仮面をかぶった。彼はこわいろ使いだった。バベはよく言った、「クラクズーは二色の声を持ってる夜の鳥だ[#「クラクズーは二色の声を持ってる夜の鳥だ」に傍点]。」彼は朦朧《もうろう》とした恐ろしい、ぶらつき回ってる男だった。クラクズーというのは綽名《あだな》であって、果たして何か名前を持ってるかさえもわからなかった。口よりも腹から声を出すことが多いので、果たして声というものを持ってるかさえもわからなかった。だれもその仮面をしか見たことがないので、果たして顔を持ってるかさえもわからなかった。幻のように彼は忽然《こつぜん》と姿を消した。出て来る時も、まるで地面から飛び出してくるかと思われるほどだった。
 痛ましい者と言えばおそらくモンパルナスであったろう。まだ少年で、二十歳にも満たず、きれいな顔、桜桃《さくらんぼう》にも似た脣《くちびる》、みごとなまっ黒い頭髪、目に宿ってる春のような輝き、しかもあらゆる悪徳にしみ、あらゆる罪悪を望んでいた。悪を消化しつくしたので、更にひどい悪を渇望していた。浮浪少年から無頼漢となり、無頼漢から強盗と変じたのである。やさしく、女らしく、品があり、頑健《がんけん》で、しなやかで、かつ獰猛《どうもう》だった。一八二九年のスタイルどおりに、帽子の左の縁を上げて髪の毛を少し見せていた。強盗をして生活していた。そのフロック型の上衣は上等の仕立てではあったが、まったくすり切れていた。彼は困窮のうちに沈み殺害をも犯しつつしかもめかしやであった。この青年のあらゆる罪悪の原因は、美服をまといたいという欲望だった。「お前さんはきれいね、」と彼に言ったある一人の浮わ気女工は、彼の心のうちに一点の暗黒を投じ、そのアベルをしてカインたらしめたのである。自分のきれいであることを知って、彼は更に優美ならんことを欲した。しかるに第一の優美
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