塔eィゴヌス・ミレスは擲弾兵《てきだんへい》ヴァドボンクールと腕を組み合って歩くであろう。骨董商《こっとうしょう》ダマジプスはパリーの古物商人のうちに納まり返るであろう。アゴラ(アテネの要塞《ようさい》)はディドローを監禁するであろうが、それと同じくヴァンセヌの要塞はソクラテスをつかみ取るであろう。クルティルスが※[#「けものへん+胃」、第4水準2−80−43]《はりねずみ》の炙肉《あぶりにく》を考え出したように、グリモン・ド・ラ・レーニエールは油でいためたロースト・ビーフを考えついた。プラウツスの書いた鞦韆《ぶらんこ》はエトアール凱旋門《がいせんもん》の気球の下に現われている。アプレイウスが出会ったペシルの剣食い芸人はポン・ヌーフ橋の上の刃|呑《の》み芸人である。ラモーの甥《おい》は寄食者クルクリオンと好一対をなすものである。エルガジルスも喜んでエーグルフイユによってカンバセレスの家に導かれるだろう。ローマの四人の遊冶郎《ゆうやろう》アルセジマルクス、フェドロムス、ディアボルス、アルジリッペは、クールティーユからラバテュの駅馬車に乗り込む。アウルス・ジュリウスはコングリオの前に長くたたずんだが、シャール・ノディエはポリシネルの前に長くたたずんだ。マルトンは虎《とら》とは言えないが、しかしパリダリスカも決して竜ではなかった。道化者パントラビュスはイギリス・カフェーで遊蕩児《ゆうとうじ》ノメンタヌスをも愚弄《ぐろう》する。ヘルモジェヌスはシャン・ゼリゼーのテノル歌手とも言い得べく、そのまわりには乞食《こじき》のトラジウスがボベーシュ流の服を着て金を集めている。チュイルリー公園にはうるさく服のボタンをつかまえて引き留むる者がいて、テスブリオンから二千年後の今日もなお同じ抗議を人に言わする、「マントを引っ張るのはだれだ[#「マントを引っ張るのはだれだ」に傍点]、私は急ぐんだ[#「私は急ぐんだ」に傍点]。」スュレーヌの葡萄酒《ぶどうしゅ》はアルバの葡萄酒に肩を並べる。デゾージエの赤縁《あかぶち》のコップはバラトロンの大杯にも匹敵する。ペール・ラシェーズの墓地は夜の雨の中にエスキリエの丘と同じようなすごい光を発する。そして五年間の契約で買われた貧民の墓は、いにしえの奴隷《どれい》の借り棺と同じである。
パリーにないものがあるかさがしてみるがいい。トロフォニウスの染甕《そめが
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