の例に移ってみよう。僕はイギリスを賞賛すべきなのか。フランスを賛美すべきなのか。フランスだって? そしてその理由もパリーがあるためなのか。しかし昔のパリーたるアテネについての意見は今述べたとおりだ。またイギリスの方は、ロンドンがあるためなのか。僕は昔のロンドンたるカルタゴがきらいだ。それからロンドンは、華美の都だがまた悲惨の首府だ。チャーリング・クロス教区だけでも、年に百人の餓死者がある。アルビオン([#ここから割り注]訳者注 古代ギリシャ人がイギリスに付せし名称[#ここで割り注終わり])とはそういう所だ。なおその上、薔薇《ばら》の冠と青眼鏡《あおめがね》とをつけて踊ってるイギリスの女を見たこともあると、僕はつけ加えよう。イギリスなどはいやなことだ。しからば、ジョンブルを賛美しないとすれば、その弟のジョナサンを賛美せよと言うのか。僕はこの奴隷《どれい》ばかりの弟は味わいたくない。時は金なり[#「時は金なり」に傍点]という言葉を除けば、イギリスには何が残るか。綿は王なり[#「綿は王なり」に傍点]という言葉を除けば、アメリカには何が残るか。またドイツは淋巴液《りんぱえき》であり、イタリーは胆汁《たんじゅう》だ。あるいはロシアを喜ぶべきであるか。ヴォルテールはロシアを賛美した、また支那をも賛美した。僕とても、ロシアは美を有している、なかんずくすぐれたる専制政治を有している、ということは認むる。だが僕は専制君主を気の毒に思うものだ。彼らの生命は弱々しいものだ。ひとりのアレキシスは斬首《ざんしゅ》され、ひとりのピーターは刺殺され、ひとりのポールは絞殺され、もひとりのポールは靴の踵《かかと》で踏みつぶされ、多くのイワンは喉を裂かれ、数多のニコラスやバジルは毒殺されたのだ。そしてそれらのことは、ロシア皇帝の宮殿が明らかに不健康な状態にあることを示すものだ。開化せるあらゆる民族は、戦争という一事を持ち出して思想家に賛美させる。しかるに戦争は、文明的戦争は、ヤクサ山の入り口における強盗の略奪より、パス・ドートゥーズにおけるコマンシュ土蛮の劫掠《ごうりゃく》に至るまで、山賊のあらゆる形式を取り用い寄せ集めたものである。諸君は僕に言うだろう、なあに、ヨーロッパはそれでもアジアよりはすぐれたる価値を持ってるではないかと。僕もアジアは滑稽《こっけい》であることに同意する。しかし僕は諸君は達頼
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