て、それから愉快な変人ができ上がって、それを仲間らは、音をたくさん浪費して、ジョリリリリーと呼んでいた。「君は四り(四里)も飛び回れるんだ」とジャン・プルーヴェールは彼に言っていた。
 ジョリーはステッキの先を鼻の頭につける癖があった。それは鋭敏な精神を持ってるしるしである。
 かようにそれぞれ異なってはいるが、全体としてはまじめに取り扱うべきであるこれらの青年は、同じ一つの信仰を持っていた。それは「進歩」ということである。
 すべての人々は、フランス大革命から生まれた嫡子であった。最も軽佻《けいちょう》な者でも、一七八九年という年を言うときはおごそかになった。彼らの肉身の父は、中心党で王党で正理党で、あるかまたはあった。しかしそれはどうでもいいことである。若い彼らの雑多な前時代は彼らには少しも関係を及ぼさなかった。主義という純潔な血が、彼らの血管には流れていた。彼らは何ら中間の陰影もなく直接に、清純なる権利と絶対なる義務とに愛着していた。
 その主義にいったん加盟入会した彼らは、ひそかに理想を描いていた。
 すべてそれら燃えたる魂のうちに、確信せる精神のうちに、ひとりの懐疑家があった。彼はどうしてそこにはいってきたのであるか。あらゆる色の取り合わせによってであった。その懐疑家をグランテールと呼び、いつもその判じ名のRを署名した([#ここから割り注]訳者注 グランテールという音は大字Rという意を現わす[#ここで割り注終わり])。グランテールは何事をも信じようとはしなかった男である。それに彼は、パリー学問の間に最も多く種々なことを知った学生のひとりだった。最もよい珈琲《コーヒー》はランブラン珈琲店にあり、最もよい撞球台《たまつきだい》はヴォルテール珈琲店にあることを知っていた。メーヌ大通りのエルミタージュにはよい菓子とよい娘とがあること、サゲーお上さんの家にはみごとな鶏料理ができること、キュネットの市門にはすばらしい魚料理があること、コンバの市門にはちょっとした白葡萄酒《しろぶどうしゅ》があること、などを知っていた。あらゆるものについて、彼は上等の場所を知っていた。その上、足蹴術を心得ており、舞踏をも少し知っており、また桿棒術に長じていた。そのほかまた非常な酒飲みだった。彼は極端に醜い男だった。当時の最もきれいな靴縫《くつぬ》い女であったイルマ・ボアシーは、彼の醜さに
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