「うやつだ。」
「さあ読んでみましょう。」と伯母《おば》は言った。
 そして彼女は眼鏡《めがね》をかけた。ふたりはその紙を開いて、次のようなことを読んだ。

[#ここから2字下げ]
予が子のために[#「予が子のために」に傍点]――皇帝はワーテルローの戦場にて予を男爵に叙しぬ。復古政府は血をもって購《あがな》いたるこの爵位を予に否認すれども、予が子はこれを取りこれを用うべし。もとより予が子はそれに価するなるべし。
[#ここで字下げ終わり]

 父と娘とが受けた感情は、とうてい言葉には尽し難い。彼らは死人の頭から立ち上る息吹《いぶき》で凍らされでもしたように感じた。互いに一言もかわさなかった。ただジルノルマン氏は自分自身に話しかけるように低い声で言った。
「あのサーベル奴《め》の字だ。」
 伯母はその紙を調べ、種々ひっくり返してみ、それから小箱の中にしまった。
 同時に、青い紙にくるんだ小さな長方形の包みが、フロックのポケットから落ちた。ジルノルマン嬢はそれを拾い上げて、青い紙を開いてみた。それはマリユスの百枚の名刺だった。彼女はその一枚をジルノルマン氏に差し出した。彼は読んだ、「男爵マリユス[#「男爵マリユス」に傍点]・ポンメルシー[#「ポンメルシー」に傍点]。」
 老人は呼び鈴を鳴らした。ニコレットがやってきた。ジルノルマン氏はリボンと小箱とフロックとを取り、それらを室《へや》のまんなかに、床《ゆか》にたたきつけた。そして言った。
「そのぼろ屑《くず》を持ってゆけ。」
 一時間ばかりの間はまったく深い沈黙のうちに過ごされた。老人と老嬢とは互いに背中合わせにすわり込み、各自に、そしてたぶんは同じことを、思いめぐらしていた。終わりにジルノルマン伯母《おば》は言った。

「よいざまだ!」
 やがてマリユスが現われた。戻ってきたのである。そして室の閾《しきい》をまたがないうちに、祖父が自分の名刺を一枚手に持ってるのを見た。祖父は彼の姿を見るや、何かしらてきびしい市民的な冷笑的な高圧さで叫んだ。
「これ、これ、これ、これ、お前は今は男爵だな。お祝いを言ってあげよう。いったい何という訳だ?」
 マリユスは少し顔を赤らめて答えた。
「私は父の子だという訳です。」
 ジルノルマン氏は冷笑をやめて、きびしく言った。
「お前の父というのは、私だ。」
「私の父は、」とマリユスは目を伏せ厳
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