頼った時期は一つもない。その六年は実に異様な一時期であって、騒然たると同時に寂然として、嬉々《きき》たると同時に沈鬱《ちんうつ》で、あたかも曙《あけぼの》の光に照らされてるがようであると同時に、なお地平線に立ちこめてしだいに過去のうちに沈み込まんとする大災厄《だいさいやく》の暗雲におおい隠されてるがようであった。その光と影との中に、新しくまた古く、おかしくまた悲しく、年少でまた老年である一小社会があって、目をこすっていた。復起と覚醒《かくせい》とほど互いによく似寄ってるものはない。ふきげんにフランスをながめ、またフランスから皮肉にながめられてる一群。街路に満ちてる人のいい老梟《ろうふくろう》たる公爵ら、帰国せる者らとよみがえった者ら、すべてに驚きあきれてる旧貴族ら、祖国を再び見て歓喜し、もとの王政を再び見得ないで絶望して、フランスにあることをほほえみまた泣いている善良な貴族ら、帝国の貴族すなわち軍国の貴族に恥辱を与える十字軍の貴族。歴史の意義を失った歴史的人種。ナポレオンの仲間を軽蔑するシャールマーニュ大帝の仲間。上に述べきたったとおり、剣戟《けんげき》は互いに凌辱《りょうじょく》し合った。フォントノアの剣は笑うべきものであり、一つの錆《さび》くれにすぎなかったと言う。マレンゴーの剣は擯斥《ひんせき》すべきもので、一つのサーベルにすぎなかったと言い返す。昔は昨日をけなした。人々はもはや、偉大なるものに対する感情も持たず、嘲笑《ちょうしょう》すべきものに対する感情も持たなかった。ナポレオンを称してスカパンと言う者もいた([#ここから割り注]訳者注 スカパンとはモリエールの喜劇中の人物にて、奸知にたけた悪従僕の典型[#ここで割り注終わり])。しかしそういう社会は今はもうなくなっている。くり返して言うが、今日ではもう影も止めていない。で、今日、偶然その相貌《そうぼう》を多少つかんできて、頭の中に浮かべようとする時には、あたかもノアの洪水《こうずい》以前の世界ほどに不思議なものに思われる。そしてまた実際その社会も一の洪水によってのみ込まれてしまったのである。二つの革命によって姿を消してしまったのである。思想とはいかに大なる波濤《はとう》であるか! 破壊し埋没すべく命ぜられたすべてをいかに早くおおい隠し、恐るべき深淵をいかにたちまちの間にこしらえることか。
そういうのが、
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