なるもの、すなわち他人のための贖罪である。」
 ここにはすべて私見的理論を差し控えよう。われわれはただ叙述者に過ぎない。われわれはジャン・ヴァルジャンの立脚地に身を置き、彼の印象を紹介するに止めよう。
 自我脱却の崇高なる頂、およそあり得べき最高なる徳の峰を、彼は眼前にながめた。人々にその罪を許し彼らに代わってそれを贖《あがな》うの潔白。自ら罪を犯さない魂によって、つまずける魂を罪より免れしめんがために、甘んじて受けられたる奉仕と呵責《かしゃく》と苦業。神に対する愛のうちに巻き込まれたる人類愛、しかも明らかに区別されて常に哀願せる人類愛。罰せられたる者のごとき惨《みじ》めさと報いられたる者のごときほほえみとを持てるやさしき弱き女性ら。
 そして彼は、自らあえて不平をいだいたことがあったのを思い出した。
 しばしば真夜中に起き上がって彼は、苛酷なる重荷を負える潔白なる婦人らの感謝の歌に耳を傾けた。そして、正当に罰せられたる人々が天に向かって声を上ぐるのはただ呪《のろ》わんがためのみであったことを思い、惨《みじ》めにも自分もまた神に対してこぶしを差し向けたことを思って、全身の血が凍る思いを
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