《どれいせいど》の場所。しかし前者には、解放の可能、常に見えている法律上の限界、そしてまた脱走。後者には、終身。そして唯一の希望としては、未来の遠き末端にあって、人が死と称するあの自由の輝き。
前者にあっては、人々は鎖によってつながれてるのみであり、後者にあっては、人々は自分の信仰によってつながれている。
前者から出て来るものは何であるか? 大なる呪詛《じゅそ》、切歯、憎悪、自暴自棄の悪念、人類の団結に対する憤怒の叫び、天に対する嘲笑。
後者からは何が出て来るか? 天の恵みと愛。
しかも、かくも似寄りまたかくも異なれるそれら二つの場所において、かくも相違せる二種の人々は、同じ一事をなしているのである、すなわち贖罪《しょくざい》を。
ジャン・ヴァルジャンは、第一の人々の贖罪、個人的贖罪、自分自身のための贖罪を、よく了解していた。しかし第二の人々の贖罪、何らの難点もなく何らの汚点もない婦人らの贖罪を、了解しなかった。そして彼は一種の戦慄《せんりつ》をもって自ら尋ねた。「何についての贖罪であるか? いかなる贖罪であるか?」
一つの声が彼の内心で答えた。「人間の仁慈のうちで最も神聖
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