対ではないだろうか。
われわれの外部に無窮なるものがあると同時に、われわれの内部にも無窮なるものがないだろうか。その二つの無窮なるものが(何という恐るべき複数であるか!)互いに重なり合ってるのではないだろうか。第二の無窮なるものは、いわば第一のものの下層ではないだろうか。それは第一のものの鏡であり、反映であり、反響であり、第一の深淵《しんえん》と同中心の深淵ではないだろうか。この第二の無窮なるものもまた霊的のものではあるまいか。それは考え愛し意欲するのではあるまいか。もし二つの無窮なるものが霊的のものであるならば、その各は一つの意欲的本体を有し、そして上なるものに一つの自我があるとともに、下なるものにも一つの自我があるに違いない。この下なる自我がすなわち人の魂であり、上なる自我がすなわち神である。
思念によって、下なる無窮のものを上なる無窮のものと接触させること、それを称して祈るという。
人の精神から何物をも取り去らないようにしようではないか。除去することは悪いことである。ただ改革し進化させなければいけない。人間のある種の能力は、未知なるものの方へ向けられている、すなわち、思想と
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