まぎらさんとつとめた。歴史の摘発を止め、哲学の注釈を弱め、あらゆる不利な事実やいやな問題を省略せんがために、不思議な便利な方法を流行さした。大言壮語の題目[#「大言壮語の題目」に傍点]だと巧みなる者らはいう。大言壮語だとその尻馬《しりうま》に乗った者らは繰り返す。かくて、ジャン・ジャック・ルーソーも壮語家となり、ディドローも壮語家となり、カラスやラバールやシルヴァン([#ここから割り注]訳者注 皆寃罪のために極刑に処せられし人[#ここで割り注終わり])などを弁護するヴォルテールも壮語家となる。また最近だれかがかかることまで言った、タキツスは一つの壮語家であり、ネロ皇帝はその犠牲である、そして「このあわれなるホロフェルネス」(ネロ)こそまさしく同情すべきであると。
しかしながら事実は曲げ難いものであり、頑強《がんきょう》なるものである。ブラッセルから八里ばかりの所、だれにもわかる中世のひな形のある所、すなわちヴィレルの修道院において、その中庭の牧場の中央に終身囚の穴と、ディール川の岸に半ばは地下に半ばは水の下になってる四つの石|牢《ろう》とを、本書の著者は親しく見たのである。それこそま
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