その長さは一様でなかった。道の両側にはすぐりの木が立ち並んでいた。庭の奥には、大きな白楊樹の並んだ一筋の道が、ドロア・ムュール街の角にある古い修道院の廃屋から、オーマレー小路の角《かど》にある小修道院まで通じていた。小修道院の前方には、小庭と言われてるものがあった。それらの全体に加うるに、一つの中庭、中部の住家がこしらえてる種々な角、監獄の壁、ポロンソー街の向こう側にあって近くにずっと見渡せる黒い長い屋根並みの一列、などをもってする時には、今から四十五年前のプティー・ピクプュスのベルナール修道女らの住居のありさまが、だいたいわかるであろう。この聖《きよ》い住居はまさしく、十四世紀から十六世紀へかけて有名だった一万一千の悪魔の庭球場[#「一万一千の悪魔の庭球場」に傍点]と呼ばれるテニスコートの跡に、建てられていたのである。
なおそれらの街路は、パリーのうちでは最も古いものだった。ドロア・ムュールとかオーマレーとかいう名前はきわめて古いものである。がそういう名前を持ってる街路はなおずっと古いものである。オーマレー小路はもとモーグー小路と言われていた。そしてドロア・ムュール街([#ここから
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