いうふうに各時間に従って言うのである。
自分の考えをやめて常に神を思わせるのを目的としたこの習慣は、他の多くの修道会にもある。ただその言葉は種々違っている。たとえばアンファン・ゼジュ会では言う、「ただ今の時間にまたそれぞれの時間に[#「ただ今の時間にまたそれぞれの時間に」に傍点]、イエスの愛は私の心をあたため下さいまするよう[#「イエスの愛は私の心をあたため下さいまするよう」に傍点]!」
今より五十年前にプティー・ピクプュスの修道院にいたマルタン・ヴェルガのベネディクト・ベルナールの修道女らは、重々しい聖詩唱歌の調子で、純粋な平音楽で、そしていつも勤めの間引き続いたいっぱいの声で、すべての祭式を歌っていた。弥撒《ミサ》の書に星印がある所では、ちょっと歌をやめて「イエス[#「イエス」に傍点]・マリア[#「マリア」に傍点]・ヨセフ[#「ヨセフ」に傍点]」と低音に言う。死人の祭式には、女声の最低の音で歌うので、いかにも悲痛な効果をきたす。
プティー・ピクプュスの修道女らは、会員の墓として主祭壇の下に窖《あなぐら》を持っていた。けれども彼女らのいわゆる政府[#「政府」に傍点]は、その窖へ
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