ィクト派修道女とのために一つの修道会を興し、本院をサラマンカに置き、支院をアルカラに立てた。
その修道会は、欧州の各カトリック教国内に末院を立てていた。
かく一派を他派につぎ合わしたものは、ローマ教会においては珍しいものではない。ここに言う聖ベネディクトの一派だけを取ってみても、それに関係のあるものは、マルタン・ヴェルガの分派のほかになお四つの修道会があった。イタリーにモンテ・カシノとパデュアのサンタ・ジォスティナとの二つ、フランスにクリュニーとサン・モールとの二つ。それからまた九つの宗派があった、すなわち、ヴァロンブロザ、グラモン、セレスタン団、カマルデュール団、シャルトルー団、ユミリエ団、オリヴァトール団、シルヴェストラン団、およびシトー。なぜならシトーもまた、他の宗派の基でありながら、聖ベネディクトに対しては一つの分枝にすぎなかったのである。シトー派は、一〇九八年にラングル教区のモレーム修道院長であった聖ロベールから起こったものである。しかるに、あのスビアコの沙漠《さばく》に隠退していた悪魔が(実際年老いていたので、隠者となったのかも知れない)古《いにしえ》のアポロンの寺院の
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