[#「四国院」に傍点]と呼びオペラ・コミック座をフェードー座[#「フェードー座」に傍点]と呼び続ける伝統本位の普通の俗語では、ジャン・ヴァルジャンがたどりついたその場所は、半世紀前まではプティー[#「プティー」に傍点]・ピクプュス[#「ピクプュス」に傍点]と呼ばれていた。サン・ジャック門、パリー門、セルジャン門、ポルシュロン、ガリオート、セレスタン、カプュサン、マイュ、ブールブ、アルブル・ド・クラコヴィー、プティート・ポローニュ、プティー・ピクプュス、そういうのが新しいパリーのうちに残ってる古いパリーの名前である。民衆の記憶はそれらの過去の残物の上に漂っている。
それにプティー・ピクプュスは、単に輪郭ばかりでほとんど形をそなえたこともなかったので、スペインの町の修道院みたいな面影を持っていた。道路には舗石《しきいし》もよく敷いてなく、街路には人家もまばらであった。これから述べる二、三の街路を除いては、すべて壁ばかりで寂寞《せきばく》たるものだった。商店もなければ、馬も通らなかった。ようやく所々に窓から蝋燭《ろうそく》の光が見えてるのみで、燈火《あかり》はすべて十時には消されてしまった
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