。庭園に修道院に建築材置き場に野菜畑、所々には低い家、それから人家と同じ高さの大きな壁。
 前世紀におけるその一郭はまずそんなありさまだった。それが革命のために既にひどくそこなわれた。共和政府の市土木課のために、破壊され貫かれ穴をあけられた。塵芥《じんかい》貯蔵所まで設けられていた。そして今から三十年前には、新しい建物のために、その一郭はほとんど塗りつぶされてしまった。今日ではもうまったくその姿がなくなってしまっている。今日ではどの地図にもその跡さえ止めていない。しかしそのプティー・ピクプュスの一郭は、一七二七年の地図にはかなり明らかに示されていた。すなわち、パリーのプラートル街と向き合ったサン・ジャック街のドゥニー・ティエリー書店と、リオンのプリュダンスのメルシエール街のジャン・ジラン書店と、両方から発売せられた地図にはのっていた。プティー・ピクプュスの一郭のうちでわれわれが街路のY形と呼んだところのものは、シュマン・ヴェール・サン・タントアーヌ街の二つの枝からできていて、左の方のをピクプュス小路といい、右の方のをポロンソー街と言っていた。Yの二本の枝はその頂がいわば一つの棒で結ばれ
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