ているであろうが、彼は軍隊にはいっていたことがあると自称していた。彼がすこぶる大げさに吹聴するところによると、彼はワーテルローにおいて軽騎兵の第六とか第九とかの連隊の軍曹であって、プロシア驃騎兵《ひょうきへい》の一中隊に一人で立向かい、霰弾《さんだん》の雨下する中に、「重傷を負った一将軍」を身をもっておおい、その生命を救ったそうである。壁にかかっている真紅な看板と、「ワーテルローの軍曹の旅籠屋《はたごや》」というその地方の呼び名とは、それから由来したのである。彼は自由主義者で、古典派で、またボナパルト派であった。彼はシャン・ダジール([#ここから割り注]訳者注 フランスの追放者帰休兵らによって当時アメリカに建てられていた植民地[#ここで割り注終わり])に金を出していた。村人の話では、彼は牧師になるために学問をしたそうであった。
われわれの信ずるところによれば、彼はただ宿屋になるためにオランダで学問をしただけのことである。そして混合式の悪党である彼は、その変通性によって、フランドルではあるリール生まれのフランドル人となり、パリーではフランス人となり、ブラッセルではベルギー人となって、う
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