はまず第一にそういう身体つきから初まっていた。いつも用心深くにやにやしていて、ほとんどだれにでも丁寧であり、一文の銭をもくれてやらぬ乞食《こじき》にさえ丁寧であった。目つきは鼬《いたち》のようでいて、顔つきは文人のようなふうをしていた。ドリーユ師([#ここから割り注]訳者注 好んで双六などをやってる男を歌った詩人[#ここで割り注終わり])の描いた人物などに似通ったところが多かった。よく馬方などといっしょに酒を飲んで気取っていた。だれも彼を酔わせることはできなかった。いつも大きな煙管《きせる》で煙草《たばこ》をふかしていた。広い仕事着をつけて、その下に古い黒服を着込んでいた。文学に趣味があり、また唯物主義の味方である、と自称していた。何でも自分の説をささえるためにしばしば口にする二、三の名前があった。それはヴォルテールとレーナルとパルニーと、それから妙なことだが、聖アウグスチヌスとであった。自分は「一つの哲学」を持っていると断言していた。が少なくとも、非常なまやかし者で、尻学者《けつがくしゃ》であった。哲学者をもじって尻学者と称し得らるるくらいの男はざらにあるものである。また読者は記憶し
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