一見地より見るならば、この戦争は実に、フランスにおいて軍国的精神を傷つけながら、他方には民主的精神を激怒せしめたのである。それは一つの隷属を贏《か》[#「贏」は底本では「※[#「贏」の「貝」に代えて「果」、(二)−27−3]」]ち得んとする企図であった。この戦役においては、民主制の子孫たるフランス兵士の目的は、他人に課すべき軛《くびき》の獲得であった。忌むべき矛盾である。フランスは諸民衆を窒息せしめんがためにではなく、反対にそれを覚醒《かくせい》せしめんがために作られてるのである。一七九二年以後欧州のあらゆる革命は実はフランス革命の一分子である。自由の精神はフランスより放射している。それは太陽のごとく煌々《こうこう》たる事実である。そを見ざる者は盲者なり! とはボナパルト自身の言葉である。
 一八二三年の戦争は、健気《けなげ》なるスペイン国民への加害であり、従って同時にフランス革命への加害であった。その恐るべき暴行を犯したところのものはフランスであった、しかもそれは暴力をもってであった。なぜなれば、独立戦争を外にしては、すべて軍隊がなすところのものは暴力をもってなされるものであるから。
前へ 次へ
全571ページ中149ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング