たいなコゼットが。彼女の声の響きには、家中のものが、窓ガラスも道具も人間もみな震え上がった。赤痣《あかあざ》で凸凹《でこぼこ》の大きい顔は、網杓子《あみじゃくし》に似ていた。髯《ひげ》まではえていた。まったく市場の人夫の理想的な型で、ただ女の着物を着てるだけであった。そのどなる声は素敵なものだった。胡桃《くるみ》をも一打にたたき割るといって自慢していた。小説を読んだので時とすると、その食人鬼のような姿の下から変に洒落《しゃれ》女の様子が現われて来ることがあったが、それがなかったら、女だと言ってもだれも本当にしなかったかも知れない。まず娼婦《しょうふ》が土方女に接木《つぎき》してできたというくらいのところだった。口をきいてるのを聞くと憲兵かとも思われ、酒を飲んでるところを見ると馬方《うまかた》かとも思われ、コゼットをこき使ってるところを見ると鬼婆《おにばば》とも思われるほどだった。休息してる時には、歯が一本口からのぞき出ていた。
亭主のテナルディエの方は、背の低い、やせた、色の青い、角張った、骨張った、微弱な、見たところ病気らしいが実はすこぶる頑健《がんけん》な男であった。彼のまやかしはまず第一にそういう身体つきから初まっていた。いつも用心深くにやにやしていて、ほとんどだれにでも丁寧であり、一文の銭をもくれてやらぬ乞食《こじき》にさえ丁寧であった。目つきは鼬《いたち》のようでいて、顔つきは文人のようなふうをしていた。ドリーユ師([#ここから割り注]訳者注 好んで双六などをやってる男を歌った詩人[#ここで割り注終わり])の描いた人物などに似通ったところが多かった。よく馬方などといっしょに酒を飲んで気取っていた。だれも彼を酔わせることはできなかった。いつも大きな煙管《きせる》で煙草《たばこ》をふかしていた。広い仕事着をつけて、その下に古い黒服を着込んでいた。文学に趣味があり、また唯物主義の味方である、と自称していた。何でも自分の説をささえるためにしばしば口にする二、三の名前があった。それはヴォルテールとレーナルとパルニーと、それから妙なことだが、聖アウグスチヌスとであった。自分は「一つの哲学」を持っていると断言していた。が少なくとも、非常なまやかし者で、尻学者《けつがくしゃ》であった。哲学者をもじって尻学者と称し得らるるくらいの男はざらにあるものである。また読者は記憶しているであろうが、彼は軍隊にはいっていたことがあると自称していた。彼がすこぶる大げさに吹聴するところによると、彼はワーテルローにおいて軽騎兵の第六とか第九とかの連隊の軍曹であって、プロシア驃騎兵《ひょうきへい》の一中隊に一人で立向かい、霰弾《さんだん》の雨下する中に、「重傷を負った一将軍」を身をもっておおい、その生命を救ったそうである。壁にかかっている真紅な看板と、「ワーテルローの軍曹の旅籠屋《はたごや》」というその地方の呼び名とは、それから由来したのである。彼は自由主義者で、古典派で、またボナパルト派であった。彼はシャン・ダジール([#ここから割り注]訳者注 フランスの追放者帰休兵らによって当時アメリカに建てられていた植民地[#ここで割り注終わり])に金を出していた。村人の話では、彼は牧師になるために学問をしたそうであった。
われわれの信ずるところによれば、彼はただ宿屋になるためにオランダで学問をしただけのことである。そして混合式の悪党である彼は、その変通性によって、フランドルではあるリール生まれのフランドル人となり、パリーではフランス人となり、ブラッセルではベルギー人となって、うまく二つの国境をまたいで歩いていた。彼のいわゆるワーテルローの武勇については、読者の既に知るとおりである。いうまでもなく彼はそれを誇張して話していたのである。変転、彷徨《ほうこう》、冒険、それが彼の一生のおもなでき事であった。内心の分裂は生活の不統一をきたす。宜《むべ》なるかな、一八一五年六月十八日の騒乱の時に当たってテナルディエは、あの酒保兼盗人の仲間にはいっていた。それら一群の者どもは前に述べたとおり、戦場をうろつき、ある者には酒を売りつけ、ある者からは所持品を略奪し、男も女も子供も一家族一つになって、変なびっこの車にのり、本能的に勝利軍の方へくっつき、進撃する軍隊のあとについて彷徨するのである。そういう戦争に参加して、自称するごとくいくらか「銭《ぜに》を儲《もう》け」て、それから彼はモンフェルメイュにきて飲食店を開いたのであった。
その銭《ぜに》なるものも、死骸をまいた畑から収穫時にうまく刈り取った、金入れ、時計、金の指輪、銀の十字勲章、などにすぎなくて、大した金高にもならなかった。そしてそれだけでは、飲食店になったその従軍商人を長くささえることはできなかったのである。
テナ
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