を飲んでる男や、煙草《たばこ》をふかしてる男、中はうす暗くて、しかも騒然たる音を立てていた。けれども一八二三年という年には、特にいちじるしく市民階級《ブールジョア》の間に流行してきた二つの物があった。すなわち万華鏡《カレードスコープ》と木目模様《もくめもよう》のブリキのランプとである。この広間にもその二つがテーブルの上にのっていた。そしてテナルディエの上《かみ》さんは、明るく燃え立った火の前であぶられてる夕食のごちそうの番をしており、亭主の方は、客たちと酒を飲みながら政治を論じていた。
 スペイン戦争やアングーレーム公を中心にした政治談のほかに、なお地方的の種々な事がらに関する談笑もあった。次のような言葉も聞かれた。
「ナンテールやスュレーヌの方では葡萄酒《ぶどうしゅ》がえらくできたぜ。十樽《じったる》くらいかと思ってると十二樽もあるんだ。圧搾器のために液汁《しる》が多く取れたんだ。――だが葡萄はまだ熟しちゃいなかったろうじゃねえか。――なにあちらじゃ、熟すまで置きゃしねえ。熟してから採ったんじゃあ葡萄酒は春になるとねばっちまわあ。――それじゃあ薄い葡萄酒だね。――そうとも、この辺にできるのよりもっと薄いや。とにかく葡萄は青いうちに採るに限るぜ。」
 その他種々の話。
 それからまた粉屋はこんなことを言っていた。
「俺《おれ》たちは袋の中のものに責任を負えるかい。たくさんの穀類がはいってるのを、一々より分けておられるものじゃねえ。ただ挽臼《ひきうす》の中につぎ込むばかりだ。どくむぎ、あたますき、なでしこむぎ、はとまめ、やはずえんどう、たいま、いぬすぎな、そのほかいろんなものがはいってやがるんだ。またばかに石の多い麦《やつ》があるのは言うまでもねえ。とりわけブルターニュ麦はひでえや。俺はブルターニュ麦をひくなあ全くごめんだ。釘《くぎ》のある梁《はり》を鋸《のこぎり》でひくのがいやだというが、もっといやなもんだ。そんな下等な麦で、どんな粉ができるもんか。それなのに粉の苦情ばかり言ってやがる。言う方が無理なんだ。粉が悪いったって何も俺たちのせいじゃねえんだ。」
 窓と窓との中ほどのところには、一人の草刈り人夫が地主といっしょに食卓について、春になすべき牧場の仕事の賃金を相談されていたが、彼はこんなことを言っていた。
「草がぬれるなあ悪かありません。刈りよくなるだけでさあ。露はいいですよ、旦那《だんな》。だがそれはとにかく、あの草は、まだ若いんで刈りにくいですよ。柔らかいうちはどうも大鎌《おおかま》の下にしなってかないませんからね。」
 その他種々。
 コゼットはいつものとおり、料理場のテーブルの横木に、暖炉に近い所に腰掛けていた。彼女はぼろの着物を着て、素足のまま木靴をはき、そして炉の火の光でテナルディエの娘らのために、毛糸の靴足袋を編んでいた。一匹の小さな子猫が椅子《いす》の下で戯れていた。二人の子供のあざやかな笑い興ずる声が隣の室から聞こえていた。それはエポニーヌとアゼルマであった。
 暖炉のすみには、一本の皮の鞭《むち》が釘《くぎ》に下がっていた。
 時とすると、家のどこかにいるごく小さな子供の泣き声が、酒場の騒ぎの間に聞こえてきた。先年の冬テナルディエの上さんがもうけた男の児である。「どうしたんだろう、あまり寒いから子供ができたのかも知れない、」などと上さんは言っていた。もう今では三歳余りになっていた。彼女はその子供を育ててはいたが、少しもかわいがっていなかった。子供の激しい泣き声があまりうるさくなると、亭主は言った、「子供が泣いてる、行ってみてやれよ。」すると母親はいつも答えた、「構うもんですか! 私はくさくさしちまう。」そして顧みもされない子供は、暗やみの中に泣き続けるのだった。

     二 二人に関する完稿

 読者は本書において、テナルディエ夫婦についてはその横顔しか見ていない。が今や、二人のまわりを回って、前後左右からながむべき時となった。
 亭主の方はちょうど五十の坂を越したばかりであった。女房の方は四十台になっていた。四十といえば男の五十に当たる。それで二人の間に年齢の不釣り合いはなかったわけである。
 背が高く、金髪で、あから顔で、脂《あぶら》ぎって、肥満して、角張《かくば》って、ばかに大きく、そしてすばしこいテナルディエの上さんを、読者はたぶん彼女が初めて舞台に現われて以来記憶しているであろう。前に言っておいたとおり彼女は、市場をのさばり歩く野蛮な大女の仲間に属していた。家の中のことはすべて一人でやった、寝所をこしらえ、室《へや》を片付け、洗濯《せんたく》をし、料理をし、雨の日も天気の日も、何でも手当たりしだいにやってのけた。そして唯一の下女としてはコゼットがいた、象に使われてる一匹の小|鼠《ねずみ》み
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