にしてわれわれに快心なことも、勢いの衰えゆく人々に対してはさほどにもないものである。われわれは危険の伴う戦いをのみ快しとする。そしていかなるばあいにおいても、最初の戦士のみが最後の撃滅者たるの権利を有する。人の盛時において、執拗《しつよう》なる非難者でなかった者は、その滅落の前に黙すべきである。成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である。われわれは天命が手を出して打撃を与える時には、天命の成すままに任せるのである。一八一二年はわれわれの武装を解除しはじめた。一八一三年において、黙々たりし立法部は、災害に勇気を得て卑怯《ひきょう》にも沈黙を破ったが、それは恥ずべき行ないであった、それを喝采《かっさい》するは誤りであった。一八一四年において、裏切れるあの将軍らの前から、一度|跪拝《きはい》せしものを凌辱《りょうじょく》しながら、汚行より汚行へ移りゆきしあの上院の前から、遁走しながら偶像を唾棄《だき》するあの偶像崇拝の前から、顔をそむけるのが正当であった。一八一五年において、最後の災いが大気に瀰漫《びまん》した時、フランスがその不吉なる災いの近接のもとに震えた時、ワーテルローの敗戦がナポレ
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