よい人でございますよ。そして今ではもうあなたのことを口癖のようにしております。パリーの婦人たちはあなたの音楽に気違いのようになってるらしく思われます。私のベルンの熊《くま》がパリーの獅子《しし》となるのはその心次第です。手紙をおもらいにはなりませんでしたか。何かよいことを聞かされはなさいませんでしたか。あなたは女のことを私に少しもおっしゃいませんでしたね。恋でもなすってるのではありませんか。私にお聞かせくださいね。嫉妬《しっと》なんかいたしませんから。
[#地から2字上げ]あなたの友 グラチア

 あなたは私がお手紙の最後の句に感謝してるとでも思ってはいられませんか! 皮肉なる優雅の君よ、あなたが嫉妬でもされたらほんとに面白いでしょうけれど。しかし嫉妬を知るために私を当てにしてはいけません。あなたがおっしゃったとおり気違いであるパリーの婦人たちに、私はなんらの興味をも覚えません。でもまったく彼女らは気違いでしょうか? 自分では気違いになりたがっています。がそれはあまり気違いでないという証拠です。彼女らが私を悩殺すると思われてはいけません。もし彼女らが私の音楽に無頓着であったら、それでもまだ魅力があるでしょう。けれど実際のところ彼女らは私の音楽を好んでいます。それで幻がかけられるでしょうか。人に向かってあなたを理解してると言う者があったら、それはまさしくその人をけっして理解しているのではありません……。
 でも私のこの冗談をあまり真面目《まじめ》にとってはいけません。あなたにたいしていだいてる感情のために、私は他の婦人にたいして不正な批判をくだしはしません。彼女らを有情の眼で見なくなってからは、ほんとうの同情をより多くいだくようになりました。われわれ男子の愚かな利己心が、彼女らを賤《いや》しい不健全な半|下婢《かひ》の身分に陥《おとしい》れて、彼女らの不幸とわれわれの不幸とを共に醸《かも》し出してる、その状態から脱せんために、三十年来彼女らがなしてる大努力は、現代のもっとも高尚な事柄の一つであるように私には思われます。パリーのような都会では、新時代の若い娘たちを感嘆することができます。その娘たちは、多くの障害があるにもかかわらず、学問と資格とを得んがために、誠実な熱心をもって突進しています。その学問と資格こそ、彼女らの考えによれば、彼女らを解放し、未知の世界の秘奥を開いてくれ、彼女らを男子と同等ならしむるものであります……。
 もちろんそういう信念は、空想的でまた多少|滑稽《こっけい》なものです。しかし進歩というものは、人の希望するがようには実現されるものでありません。また希望しなくてはなおさら実現されるものでありません。この婦人たちの努力も無効ではないでしょう。それは彼女らを、かつての偉大な世紀におけるがように、より完全により人間的になすでしょう。彼女らはもはや世の中の生きた問題に無関心ではなくなるでしょう。生きた問題に無関心であることこそ、慨嘆すべき呪《のろ》わしいことです。なぜならば、家庭の義務にもっとも心を用いてる婦人でさえ、現代社会における義務を考える要はないと思うのは、許すべからざることですから。ジャンヌ・ダルクやカテリーナ・スフォルツァの時代の先祖たちは、そういうふうに思ってはしませんでした。その後婦人はいじけてしまったのです。われわれ男子は婦人に空気と日光とを分かち与えませんでした。それで婦人はわれわれからそれを強《し》いて取りもどそうとしています。実に健気《けなげ》な者ではありませんか!……もとより、今日戦ってる彼女らのうちの、多くの者は死ぬでしょうし、多くの者は迷うでしよう。危《あぶ》ない年齢期にあるのです。その努力はあまりに弱々しい力にとっては激しすぎます。植物でも長く水を得ないでいるときには、最初の雨に焼きつくされる恐れがあります。しかしそれがなんでしょう! 進歩の賠償なのですから。後から来る者たちは彼女らの苦しみから花を咲かすでしょう。現在戦っているこの憐《あわ》れな処女たちは、たいてい結婚なんかしないでしょうけれど、多くの子を生んだ過去の夫人たちよりも、未来にたいしてはいっそう多産でしょう。なぜなら、彼女らから、彼女らの犠牲によって、新たなクラシック時代の女性が出て来るでしょうから。
 そういう勤勉な蜜蜂たちを見出す好機が得らるるのは、あなたの従姉のコレットの客間においてではありません。どうしてあなたは私を彼女のところへ強いて行かせようとなさるのですか。でも私はあなたの命に服さなければなりませんでした。それはありがたいことではありません。あなたは私にたいする権力を濫用なさるというものです。私は彼女の招待を三度断わりました。そのうち二度は返事も出しませんでした。すると彼女のほうから管絃楽の下稽古《したげ
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