んだ。二、三か月たつと、彼女はまた以前のように真面目《まじめ》な朗らかな調子の手紙を書きだした。自分の気弱い悩みを彼にになわしてしまうのは悪いことだと思ったのだろう。自分のあらゆる感情がいかに強い反響を彼のうちにひき起こすか、そして彼がいかに自分によりかかりたがってるか、それを彼女は知っていた。でも彼女は著しい抑制を無理に守ったのではなかった。彼女が救われたのは一種の訓練によるのだった。彼女は生に疲れてから、ただ二つのものによって生かされていた。それはクリストフにたいする愛と一つの宿命観とだった。その宿命観は喜びのおりにもまた悲しみのおりにも、彼女のイタリー人的性質の根底をなしていた。それは少しも理知的なものではなくて、まったく動物的な本能だった。疲れきった動物が、自分の疲労を感じもせず、道路の石と自分の身体とを打ち忘れ、眼を見すえて、倒れるまで夢中に進んでゆく、あの動物的な本能だった。そういう宿命観が彼女の身体を支持していた。愛は彼女の心を支持していた。そして自分の生命が磨滅《まめつ》してしまった今では、クリストフのうちに生きていた。それでも彼女は今までにないほどの注意を払って、彼にたいする愛を手紙の中に書き現わさないようにした。それはもちろん、その愛が今までよりいっそう大きくなったからだった。しかしまた、その愛情を一つの罪悪だと彼女に感ぜさせる死んだ子供の拒否[#「拒否」に傍点]が、重々しくのしかかっているのを感ずるからだった。そういうとき彼女は黙り込んで、しばらくの間彼へ手紙を出さないことにした。
クリストフにはそういう沈黙の理由がわからなかった。時とするとある手紙の平らな落ち着いた調子のうちに、抑制された情熱の震えが見える意外な口調をとらえることもあった。彼はそれに心がときめいた。しかしなんとも言い出しかねた。あたかも幻覚が消えるのを恐れてこわごわ息を凝らしてる者のようだった。そしてたいてい彼の予想どおりに、その口調はつぎの手紙では、故意の冷淡さで償われるのだった……。それからふたたび静穏が落ちてきた……大凪[#「大凪」に傍点]が……。
ジョルジュとエマニュエルとはクリストフのところで落ち合った。ある日の午後のことだった。二人とも自分だけのことに気を取られていた、エマニュエルは文学上の憤懣《ふんまん》に、ジョルジュはある運動競技における失敗に。クリストフはおとなしく二人の言葉に耳を貸し、やさしくからかっていた。呼鈴が鳴った。ジョルジュが行って扉《とびら》を開いた。一人の下男がコレットのもとから手紙をもって来たのだった。クリストフは窓ぎわに行ってそれを読んだ。二人の若者はまた議論を始めた。こちらに背を向けてるクリストフには眼も配らなかった。クリストフは二人の気づかないうちに室から出て行った。二人はやがてそれと知ったが別段驚かなかった。しかし彼があまり長くもどって来ないので、ジョルジュは隣室の扉のところへ行ってたたいてみた。返辞がなかった。でもジョルジュは彼の風変わりなことを知っていたので放っておいた。数分間たってクリストフは出て来た。たいへん穏やかなたいへん疲れたたいへんやさしい様子をしていた。二人を置きざりにしたことを詫《わ》び、先刻途切らした話をまたやり始めて、二人の心配事を慰めてやり、二人のためになることを言ってやった。二人はなぜともなく彼の声の調子に心を動かされた。
二人は帰っていった。ジョルジュはその足ですぐにコレットのところへ行った。するとコレットは涙を流していた。彼女は彼の姿を見るとすぐに、駆け寄って来て尋ねた。
「どんなふうにあの人は辛抱なすったの? お気の毒に! ほんとに恐ろしい!」
ジョルジュには訳がわからなかった。コレットは彼に、グラチアの死亡をクリストフへ知らしたのだと告げた。
彼女はだれへも別れを告げる隙《ひま》もなくこの世を去った。数か月以来彼女の生命の根はほとんどみな抜き取られていた。彼女を吹き倒すにはちょっとした風で足りた。彼女は流行性感冒で亡くなった。その病気がぶり返した前日、クリストフからよい手紙を受け取った。その手紙にすっかり感動させられた。彼を自分のそばに呼び寄せたかった。すべて他のことは、二人を隔ててるすべてのことは、みな虚偽であり悪であると感じた。彼女はごく疲れていたので、彼へ手紙を書くのを翌日に延ばした。ところが翌日も床から出られなかった。彼女は手紙を書きかけたが書き終えなかった。眩暈《めまい》がして頭がふらふらしていた。そのうえ彼女は自分の病気を知らせるのを躊躇《ちゅうちょ》した。クリストフの心を乱すのがはばかられた。クリストフはちょうどそのとき、ある交響的合唱曲の下稽古《したげいこ》にかかっていた。それはエマニュエルの詩に基づいて作曲したものだった。その主題が
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