に出会わなかった。しかしこの町では万事が知られるではないか。特長ある顔つきの音楽家と黒服の若い女とが、飲食店で踊ったとすれば、人目をひいたに違いなかった。二人の噂《うわさ》はぱっと立った。そして何事もくり返されるとおりに、その噂も町まで伝わってきて、悪意の生じてる折り柄とて、それはアンナだと認められずにはいなかった。もちろんそれはまだ一つの嫌疑《けんぎ》にすぎなかった。しかし妙に人の心をひく嫌疑であって、アンナの女中自身の供給した情報がそれにつけ加えられた。一般の好奇心はもう眼を見張っていて、二人が危険に瀕《ひん》するのを待ち受け、眼に見えない無数の眼で二人を窺《うかが》っていた。黙々たる陰険なこの町は、獲物をねらってる猫《ねこ》のように二人をつけ回していた。
 本来から言えば、危険にもかかわらず、アンナはおそらく屈しなかったかもしれない。そういう卑劣な敵意の感情は、おそらく彼女を猛然と挑戦《ちょうせん》的になしたかもしれない。しかし彼女は自分のうちに、敵たるその社会のパリサイ人的精神をになっていた。教育は彼女の天性を撓《たわ》めていた。彼女は世論を横暴で愚劣だといくら批判しても甲斐《
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