みに、自分の額を休めたいとの欲求を、だれよりもいっそう持ってるものである……。
 しかしクリストフはそんなことを理解していなかった……。情熱の宿命を――浪漫主義作家の戯言《ざれごと》を、彼は信じていなかった。戦うべき義務と力とを信じていた。自分の意志の力を信じていた……。しかも彼の意志は、それはどこにあったか? その痕跡《こんせき》さえ残ってはいなかった。彼は取り憑《つ》かれていた。思い出の針に昼も夜も悩まされた。アンナの身体の匂《にお》いが口や鼻を焦がしていた。彼はあたかも、舵《かじ》を失い風に任された重々しい破船に似ていた。いたずらに逃げようとして骨折った。しかしやはり同じ場所に引きもどされた。そしては風に向かって叫んだ。
「俺《おれ》を吹き砕け! 俺をどうするつもりなのか?」
 なんで、なんであの女を……なんであの女を愛してるのか? 彼女の心と精神との特長のためにか? だがもっと聡明《そうめい》なりっぱな女が乏しくはなかった。またそれは彼女の肉体のためにか? だが彼はもっと自分の官能を喜ばす情婦を他に所有したことがあった。それではいったい何が彼をとらえていたのか?――「人は愛する
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