けだった。家に一人きりでいるときには、奇怪な危ない仕事を考えついた。さまざまな不思議な苦しみを自分の身体に与えた。
「今のように真面目《まじめ》くさってるあなたを見ては、とてもそんなことは信じられませんね……。」と彼は言った。
「ああもしも、」と彼女は言った、「時によって、自分の室に一人きりでいるときに、私をご覧なすったら!」
「なんですって! 今でもまだ?……」
 彼女は笑った。彼女は彼に――話をあちらこちらに移しながら――猟をすることがあるかと尋ねた。彼はないと言い張った。彼女は、あるとき鉄砲で鶫《つぐみ》をうって、命中さしたことがあると言った。彼は憤慨した。
「まあ!」と彼女は言った、「それがどうしましたの?」
「あなたにはいったい心がないんですか。」
「そんなこと知りませんわ。」
「動物だってわれわれと同様に生物《いきもの》だとは、考えないんですか。」
「それはそうですわ。」と彼女は言った。「ちょうどお聞きしたかったことですが、動物に魂があるとあなたは思っておいでになりますの。」
「ええ、そう思っています。」
「牧師はそうでないと言っています。でも私は、動物にも魂があると考えますわ。まず第一に、」としごく真面目に彼女は言い添えた、「自分は前世は動物だったと思っていますの。」
 彼は笑いだした。
「笑うことはありませんわ。」と彼女は言った。(が自分も笑っていた。)「子供のときに私が一人で考えてた話のうちには、そのこともはいっていました。私は自分を猫《ねこ》や犬や小鳥や鶏や仔牛《こうし》であると想像してみました。そういう動物の欲望を自分に感じました。その毛や羽を自分にもしばらく生やしてみたい気がしました。もうそうなってる気さえしました。あなたにはそんなことはおわかりになりませんでしょうね。」
「あなたは不思議な動物ですね。けれど、そういうふうに動物との親しみが感じられるのに、どうして動物を害することができるんですか。」
「人はいつでもだれかを害するものですわ。ある者は私を害しますし、私はまた他の者を害します。それが世の掟《おきて》ですもの。私は不平を言いません。世の中ではくよくよしてはいけません。私は好んで自分自身をも害することがあります。」
「自分自身を?」
「自分自身をです。このとおり、ある日私は金鎚《かなづち》で、この手に釘《くぎ》を打ち込みました。」
「なんのために?」
「なんのためにでもありません。」
(彼女は十字架につけられたがってたことは言わなかった。)
「私に手をかしてください。」と彼女は言った。
「どうするつもりですか。」
「まあかしてごらんなさい。」
 彼は手を出してやった。彼女はそれをつかんで、彼が声をたてるほど強く握りしめた。そして彼らは二人の百姓同志のように、できるだけ相手を害し合って遊んだ。彼らはなんの下心もなしにただ愉快だった。生活の連鎖や、過去の悲しみや、未来の懸念や、彼らの心中に積もってきた嵐《あらし》など、すべて他のことは、消え失《う》せてしまっていた。
 彼らは幾里も歩いた。少しも疲労を感じなかった。突然彼女は立ち止まり地面に身を投げ出し、藁《わら》の上に寝ころんで、もうなんとも言わなかった。両腕を枕《まくら》にして仰向けに寝そべり、空をながめた。なんという平和だろう!……なんという安らかさだろう!……数歩向こうには隠れた泉が、あるいは弱くあるいは強く打つ動脈のように、間を置いては湧《わ》き出していた。地平線は真珠母色にぼかされていた。裸の黒い樹木が立っている紫色の地面の上には、靄《もや》が漂っていた。晩冬の太陽、褪金色の若い太陽が眠っていた。光ってる矢のように、小鳥が空中を飛んでいた。田舎《いなか》の鐘の物静かな音が、村から村へと呼び合い答え合っていた……。クリストフはアンナの近くにすわって、その姿をうちながめた。彼女は彼のことを頭においていなかった。その美しい口は黙って笑っていた。クリストフは考えていた。

 ――これはまさしくあなたですか。もう私にはあなたがわかりません。
 ――私にも、私にもそんな気がします。私は別な人間になったようです。私はもう恐《こわ》くありません、もう彼[#「彼」に傍点]が恐くはありません……。ああ私は彼[#「彼」に傍点]からどんなに息をふさがれてたことでしょう。彼[#「彼」に傍点]からどんなに苦しめられたことでしょう? 私は柩《ひつぎ》の中に釘《くぎ》付けにされてたような気がします……。今ようやく私は息がつけます。この身体は、この心は、私のものです。自分の身体。自由な自分の身体。自由な自分の心。自分の力、自分の美、自分の喜び。そして私は、今までそれを知りませんでした、自分自身を知りませんでした! あなたはいったい私をどうなすったのですか……。

 そうい
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