と絶対的自由主義との味方だった。その他の点については二人とも等しく、社会的革命と未来の労働階級の主権とを確信していた。二人はそれぞれ一人の首領に心酔していて、自分のなりたいと思う理想的人物だと見なしていた。トルーイヨーはジュシエを選び、ラ・フーイエットはコカールを選んでいた。彼らは自分たちを分け隔ててる事柄については際限もなく議論し合いながら、たがいに共通の思想のほうは確かなものだと信じていた――(それを確信しきってるあまり、それが酒杯の間にも実現されるものだと信じがちだった。)――二人のうちで、古靴屋のほうがより理屈的だった。彼は理性によって信じていた。少なくとも自分の理性を自惚《うぬぼ》れていた。彼の理性が特殊のものであって、自分の足以外の他人の足にも合わないかどうかは、神のみが知ってることだったから。それでも彼は、靴のほうほど理性のほうに通じてはいないにかかわらず、他人の精神にも自分の足に合うのと同じ靴をはかせようとしていた。紙屋のほうは、彼よりも怠惰で、自分の信念を表明するだけの労をとらなかった。いったい人は自分が疑ってる事柄をしか表明しないものである。ところが彼は何にも疑っていなかった。彼の常住不変な楽天主義は、自分の欲するとおりに事物をながめて、心にそわない事物は、眼に止めないかもしくはすぐに忘れるかした。心に反する経験はすべて彼の皮膚からすべり落ちて、少しの痕跡《こんせき》をも残さなかった。――彼らは二人とも、空想的な年老いたお坊っちゃんで、現実にたいする感覚をもってはいず、ただ革命の名に酔ってるだけで、革命そのものは、みずから自分に話してきかしてる美しい話にすぎなくて、それがいつ起こってくるものやらあるいはもう起こってるものやら、よくはわかっていなかった。そして二人とも、人の子[#「人の子」に傍点]の前に幾世紀間も平伏した遺伝的な習慣を移しかえて、神なる人類[#「神なる人類」に傍点]を信仰していたのである。――二人とも反僧侶派だったのはむろんのことである。
 おかしなことには、この善良な紙屋はごく信心深い姪《めい》といっしょに暮らしていて、その自由になっていた。彼女は濃い栗《くり》色の髪の背の低い女で、ぽってりと肥満し、眼がぎろりとして、マルセイユ風の強い調子でいっそう引き立つ快弁をそなえていた。商務省の一編集官の寡婦だった。財産もなくて娘と二人きり
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