る、予は万人を愛している、万人は予を愛している……。ああ人はいかに仕合わせぞ! 明日人はいかに仕合わせになることぞ!……
工場の汽笛が響いていた。少年は我に返って、頬張《ほおば》っている食物を呑み下し、近くの水道|栓《せん》でぐっと水を飲み、それからまた佝僂《せむし》の背中をかがめながら、跛のよちよちした足取りで、印刷所の受持場所へ帰り、革命のメネ[#「メネ」に傍点]・テケル[#「テケル」に傍点]・ウパルシン[#「ウパルシン」に傍点](数えられぬ、秤《はか》られぬ、分かたれぬ)を他日書くべき、魔法の活字の箱の前に就いた。
フーイエ親父《おやじ》には、街路の向こう側に住んでる紙屋で、トルーイヨーという旧友があった。その紙雑貨店の店先には、ガラス器にはいった赤や緑のボンボンだの、手も足もないボール紙の人形などが見えていた。往来の両側で、一方は入り口の敷居の上で、一方は店の中で、二人は目配せをしあったり、頭を動かしあったり、その他いろんな無言の身振りをしあった。どうかすると、古靴屋が靴底をたたくのに倦《う》み疲れて、彼の言葉に従えば臀《しり》にしびれが切れてくるようなときには、ラ・フーイエットはその甲高いきいきい声で、トルーイヨーは牛の嗄《しわが》れ声のようなはっきりしない唸《うな》り声で、たがいに呼びあった。そしていっしょに、近くの酒屋へ一杯飲みに行った。するとなかなかもどって来なかった。二人はこの上もない饒舌《じょうぜつ》家だった。約五十年来の知り合いだった。紙屋のほうもやはり、一八七一年の大活劇にちょっと端役《はやく》をつとめたことがあった。でも見たところそういう人物だとは思えなかった。温和な大男で、頭には黒い丸帽をかぶり、白い仕事服をつけ、老兵士みたいな灰色の口|髭《ひげ》を生やし、赤筋の立った薄青いぼんやりした眼をし、眼の下の眼瞼《まぶた》が落ちくぼみ、頬はいつも汗ばんで柔らかで艶々《つやつや》していて、神経痛の足を引きずり加減に歩き、息が短く、舌が重かった。しかし彼は昔の幻想を少しも失ってはいなかった。数年間スイスに逃亡したことがあって、そこで各国の同志に出会い、ことにロシア人に多く出会って、親和的な無政府制の美点を教え込まれたのだった。この方面については、彼はラ・フーイエットと意が合わなかった。というのは、ラ・フーイエットは古いフランス人で、強硬手段
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