ストフの悲惨な境遇についてばかばかしいことを述べたて、クリストフをドイツの専制主義の犠牲者だとし、自由の使徒だとし、帝国主義のドイツからのがれて、自由な魂の避難所たるフランスへ逃げ込んだのだと言い――(熱狂的な愛国心の台辞《せりふ》を並べるにはいい口実である)――つぎに、彼の天才を激賞していた。しかし彼の天才について実際は何にも知っていなかった――彼がドイツにいるときの初期の作で、今では自分でも恥ずかしがってなくしてしまいたがってる、二、三の平凡な旋律《メロディー》以外には、何にも知っていなかった。けれどその評論の筆者は、クリストフの作品については無知であっても、クリストフの意図をもって――彼がクリストフの意図だとしてるものをもって、足りないところを補っていた。あちらこちらで拾い上げたクリストフやオリヴィエの二、三言、クリストフのことなら知りつくしてると自称してるグージャールみたいな連中の言葉、それだけでもう筆者にとっては、「共和的な天才――民主主義の大音楽家」たるジャン・クリストフの面影を作り出すのに、十分だったのである。筆者はこの機会に乗じて、現代フランスの音楽家ら、ことに民主主義
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