いや》にならした。彼女にはその偽善的な点ばかりが眼についた。他のときなら面白く思えたかもしれないその危険な世辞|愛嬌《あいきょう》が、今は彼女に反感を催さした。彼女は何事も厭になる精神過敏の状態にあった。本心が赤裸になっていた。これまで呑気《のんき》に見過ごしてきた種々の事柄にたいして、眼が聞けてきた。そのうちのある事柄からは、血が煮えたつほど心を傷つけられた。
 彼女はある日の午後、母親の客間にいた。ランジェー夫人のもとには一人の訪問客があった――美貌《びぼう》自慢の気障《きざ》な流行画家で、いつもやって来る常客の一人だったが、大して親しいわけではなかった。ジャックリーヌは、自分がいては二人に迷惑らしい気がした。それだけにまたいっそう座をはずせなかった。ランジェー夫人は少し弱っていた。多少の偏頭痛のためか、あるいは、近ごろの婦人たちがボンボンのようによくかじってついに頭がからっぽになる、あの頭痛予防薬のためかで、頭がぼんやりしていた。それで自分の言葉にあまり気をつけていなかった。会話のなかで、その訪問客をうっかりこう呼んだ。
「ねえあなた……。」
 彼女はすぐにみずから気づいた。が彼
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