のマルトはそれを行なっていなかった。比較してみざるを得なかった。子供の眼は、大人《おとな》が看過してる多くの虚偽をもとらえるものである。また多くの弱点や矛盾をも見てとるものである。ジャックリーヌが観察したところによると、母親やまたは信仰してると言ってる人々も、信仰のない者と同じように死を恐れていた。いや信仰も十分の支持ではないのだった……。なおその上に、自分自身のいろんな経験、反発心、嫌悪《けんお》の念、癪《しゃく》にさわるへまな聴罪師、などがあった……。彼女はやはり務めを行なってはいたが、別に信仰あってするのではなく、ちょうど育ちがいいからといって社交界に出てるのと同じだった。宗教も社交界と同じく、彼女には空虚なものに思われた。彼女の唯一の頼りは死んだ叔母の思い出であって、彼女はそれに包み込まれた。先ごろは幼い利己心のため閑却しがちであり、今日では利己心によっていたずらに呼びかけてるその叔母《おば》にたいして、たいへん済まない気がした。彼女は叔母の面影を理想化した。そして叔母が残してくれた深い専心的な生活の大きな実例は、彼女をしてますます、不真面目《ふまじめ》な虚偽な社交的生活を厭《いや》にならした。彼女にはその偽善的な点ばかりが眼についた。他のときなら面白く思えたかもしれないその危険な世辞|愛嬌《あいきょう》が、今は彼女に反感を催さした。彼女は何事も厭になる精神過敏の状態にあった。本心が赤裸になっていた。これまで呑気《のんき》に見過ごしてきた種々の事柄にたいして、眼が聞けてきた。そのうちのある事柄からは、血が煮えたつほど心を傷つけられた。
彼女はある日の午後、母親の客間にいた。ランジェー夫人のもとには一人の訪問客があった――美貌《びぼう》自慢の気障《きざ》な流行画家で、いつもやって来る常客の一人だったが、大して親しいわけではなかった。ジャックリーヌは、自分がいては二人に迷惑らしい気がした。それだけにまたいっそう座をはずせなかった。ランジェー夫人は少し弱っていた。多少の偏頭痛のためか、あるいは、近ごろの婦人たちがボンボンのようによくかじってついに頭がからっぽになる、あの頭痛予防薬のためかで、頭がぼんやりしていた。それで自分の言葉にあまり気をつけていなかった。会話のなかで、その訪問客をうっかりこう呼んだ。
「ねえあなた……。」
彼女はすぐにみずから気づいた。が彼女も客も別にまごつかなかった。そしてしかつめらしく話しつづけた。ジャックリーヌは茶の支度をしていたが、びっくりして茶碗《ちゃわん》を取り落としかけた。自分の後ろで、二人が賢《さか》しい微笑をかわしてるような気がした。振り向いてみると、二人の眼は目配《めくば》せをし合っていたが、すぐに素知らぬふうをした。――ジャックリーヌはその発見に心転倒した。自由に育てられた年若い彼女は、そういう種類の男女関係を、しばしば耳にしたりまた自分でも笑いながら話したりしたが、今やそうした母親を見出すと、堪えがたい苦しみを覚えた……。自分の母が……いや、それは他の事と同一にはならない!……彼女はいつもの誇張癖のため、極端から他の極端へ走った。それまでは何一つ疑ったことがなかった。けれどそれ以来は、すべてのことを疑った。母の過去の行ないのいろんなことを、一生懸命に細かく考察してみた。そしてもちろんランジェー夫人の軽佻《けいちょう》さは、そういう嫌疑《けんぎ》に豊富な材料を与えるものだった。ジャックリーヌはそれへさらに尾鰭《おひれ》をつけた。彼女は父のほうへ接近したかった。母より父のほうがいつも自分に近かったし、その知力にずいぶん魅せられていた。いっそう父を愛したかったし、父を気の毒がりたかった。しかしランジェーは、人から気の毒がられる必要をもたないらしかった。そして娘のひどく興奮した精神には、ある疑いが、前のよりいっそう恐ろしい疑いが起こった――父は何にも知らないのではないが、何にも知らないほうがかえって便利だと思っていて、自分だけ勝手に行動しさえすれば他のことはどうでもよいとしてるのだ、という疑いが起こった。
するとジャックリーヌは、もうどうにもならない気がした。彼女は両親を軽蔑《けいべつ》しかねた。両親を愛していた。しかしもうこのままの生活をつづけることはできなかった。シモーヌ・アダンにたいする友誼《ゆうぎ》も、なんの助けともならなかった。この旧友の弱点を彼女は厳格に批判した。また自分自身をも容赦しなかった。自分のうちに醜いものや凡庸なものを認めて苦しんだ。そして必死となってマルトの清浄な思い出にすがりついた。しかしその思い出もしだいに消えていった。日々の波がつぎつぎにそれを覆《おお》いかぶせて、その痕跡《こんせき》を洗い去るようだった。そうなったらもう何もかも駄目《だめ》である。自分
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