も他人と同じように泥濘《でいねい》の中におぼれてしまうだろう……。ああどうあってもこんな世界から逃げ出したい! 助けてほしい、助けてほしい!……
かくて彼女は、いらいらした孤独の念と、熱烈な嫌悪《けんお》の情と、ある神秘な期待とのうちに、日々を過ごしながら、未知の救い主[#「救い主」に傍点]のほうへ両手を差し出してるおりに、ちょうどオリヴィエに出会ったのだった。
ランジェー夫人は、その冬、もてはやされてきた音楽家のクリストフを、招待しないではおかなかった。クリストフはやって来たが、例によって歓心を得ようとはつとめなかった。それでもランジェー夫人はやはり彼を面白い人物だと思った。――流行児である間は何をしても構わなかった。いつでも人から面白い男だと思われるのだった。ただしそれも数か月間のことである。――ジャックリーヌはそれほど面白いと思う様子を見せなかった。クリストフがある人々から讃《ほ》められてるということだけでもすでに、彼女をあまり心服させなかった。そのうえ、彼の粗暴な態度や、強い物の言い方や、快活な様子などは、彼女の気持を害した。彼女のような精神状態では、生の喜びは卑しいものに思われた。彼女は魂の憂鬱《ゆううつ》な薄明を求めていたし、それを好んでるとみずから思っていた。クリストフのうちにはあまりに白日の光が多すぎた。けれど彼女は彼と話を交えた。そして彼は彼女にオリヴィエの噂《うわさ》をした。彼は自分の身に起こるあるゆる幸福を友にもあずからせたかったのである。そして彼がオリヴィエのことをいろいろ話すので、ジャックリーヌは、自分の思想と一致してる魂を描き出し、人知れず心を動かされて、オリヴィエをも招待してもらった。オリヴィエはすぐには承諾しなかった。そのためにかえってクリストフとジャックリーヌとの話の中で、想像のオリヴィエの姿がゆっくりとこしらえ上げられてしまった。オリヴィエがついに思い切ってやって来たときには、もとよりその想像の姿どおりだった。
オリヴィエはやって来たけれど、ほとんど口をきかなかった。口をききたくなかったのである。そして、彼の怜悧《れいり》な眼や微笑や繊細な物腰や、彼を包み彼が放射してる落ち着きなどは、ジャックリーヌをひきつけずにはおかなかった。それとまったく反対なクリストフの様子は、オリヴィエをますます引き立たしていた。ジャックリーヌは心に萌《も》えだした感情を恐れて、態度には何一つ現わさなかった。やはりクリストフとばかり話をした。しかしそれもオリヴィエについての話だった。クリストフは友のことを話すうれしさのあまりに、ジャックリーヌがその話題を喜んでることには気づかなかった。彼はまた自分のことをも話した。彼女はそれを少しも面白いとは思わなかったが、好意上耳を貸してやった。それから様子にはそれと見せないで、オリヴィエが出て来る身の上話に話を引きもどすのだった。
ジャックリーヌのしとやかさは、少しも疑念のない青年にとっては危険だった。クリストフはなんの考えもなく彼女に熱中した。訪問を繰り返すのがうれしかった。服装にも注意しだした。そしてよく覚えのある一つの感情がまた、そのにこやかな懶《ものう》さをあらゆる夢想に交えてきた。オリヴィエもまた思慕していた。しかも最初から思慕したのだった。そして自分が閑却されてると思って、ひそかに苦しんでいた。クリストフはジャックリーヌとの会話を楽しげに語ってきかして、彼の苦しみをさらに大きくなした。彼はジャックリーヌに好かれようとは思いもよらなかった。彼はクリストフのそばに暮らしてきたので、以前よりはいくらか楽天的になっていたけれど、やはり自分を信ずる念が乏しかった。あまりに実直な眼で自分をながめていた。自分がいつか愛されようとは思い得なかった。――いったい人が愛されるのは、魔術的な寛容な恋愛の価値のためではなくて、自分の価値のためであるとしたならば、たれかほんとうに愛されるに値する者があろうぞ?
ある晩、彼はランジェー家へ招待されていたが、またジャックリーヌの冷淡な様子を見るのがあまりにつらいような気がして、疲れてるというのを口実にして、クリストフに一人で行ってくれと言った。クリストフは何にも察しないで、喜んで出かけていった。率直な利己心からして、ジャックリーヌを独占するの喜びばかりを考えていた。けれどそれを長く楽しむわけにゆかなかった。オリヴィエが来ないことを聞くと、ジャックリーヌはすぐに、不機嫌《ふきげん》ないらだった悲しいがっかりした様子になった。もう少しも人の気に入りたい望みも覚えなかった。クリストフの言葉に耳を傾けもせず、いい加減な返辞ばかりした。そして彼女が気のない欠伸《あくび》を噛《か》み殺してるさまを見ると、彼は屈辱を感じた。彼女は泣きたくなっていた。
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