おいっそう幸福になるでしょう。」
ジャックリーヌの顔は間延びて、不平げな様子になった。
「私いやですわ。」と彼女は言った。「そんなではちっとも楽しくなさそうですもの。」
マルトはやさしく笑い、ジャックリーヌをながめ、溜息《ためいき》をつき、それからまた編み物にとりかかった。
「かわいそうに!」と彼女はまた言った。
「どうして叔母《おば》さまはいつも、かわいそうにとおっしゃるの?」とジャックリーヌは不安げに尋ねた。「私かわいそうなものにはなりたくありませんわ。ほんとに、ほんとに幸福になりたいんですわ。」
「それだから私は、かわいそうに! と言ってるのです。」
ジャックリーヌは少し口をとがらした。しかしそれは長くつづかなかった。マルトの善良な笑顔に彼女は気が折れた。彼女は怒ったふうをしながらマルトを抱擁した。実際人はこの年ごろでは、将来の、はるかな将来の、悲しい予想から、ひそかに媚びられずにはいられないものである。遠くから見ると、不幸は詩の円光を帯びてくる。もっとも恐ろしく思われるものは、平凡な生活である。
ジャックリーヌは、叔母《おば》の顔がいつもますます蒼《あお》ざめてゆくのに、少しも気づかなかった。ただ叔母がますます外出しなくなることは、よく見てとった。しかし彼女はそれを出嫌《でぎら》いの癖のせいだと見なして、それを笑っていた。訪れてくるとき一、二度、医者が帰ってゆくのに出会った。彼女は叔母に尋ねた。
「叔母さまは御病気でいらして?」
マルトは答えた。
「なんでもありません。」
しかしもう彼女は、ランジェー家の一週一回の晩餐《ばんさん》にも来なくなった。ジャックリーヌは腹をたてて、苦々《にがにが》しく小言を言いに行った。
「でもねえ、」とマルトは静かに言った、「私は少し疲れていますから。」
しかしジャックリーヌは何にも耳に入れようとしなかった。そんなことが言い訳になるものか!
「一週に二、三時間家に来てくださるのに、そんなにお疲れなさるんでしょうか。叔母さまはもう私を愛してくださらないんでしょう。御自分の家の暖炉の隅《すみ》ばかりを大事にしていらっしゃるのでしょう。」
けれど、彼女が家に帰って、小言を言ってやった由を得意げに話すと、ランジェーは彼女をきびしく戒めた。
「叔母《おば》さんに構ってはいけない。気の毒にも重い御病気であることを、お前は知らないのか。」
ジャックリーヌは顔色を変えた。そして震える声で、叔母がどういう病気であるかを尋ねた。なかなか教えてもらえなかった。けれどついに、マルトは腸の癌腫《がんしゅ》で死にかかってるのだということを知り得た。もう数か月前からの病気だった。
ジャックリーヌは恐惶《きょうこう》の日々を送った。叔母に会うと多少安心した。仕合わせにもマルトはあまり苦しんではいなかった。やはりいつもの落ち着いた微笑を浮かべていて、それが透き通った顔の上に、内心の燈火の反映のように見えていた。ジャックリーヌは考えた。
「いえ、そんなことはない。間違いだわ。病気ならこんなに落ち着いていらっしゃるはずはない……。」
彼女はまた小さな胸に秘めてる話をうち明け始めた。マルトはそれにたいして前よりいっそうの同情を示してくれた。ただときどき、話の最中に、叔母は室から出て行った。苦しんでる様子は少しも見せなかった。発作が過ぎ去って顔だちも平穏に返ってから、またそこに出て来た。彼女は自分の容態に関する話を厭《いや》がっていた。容態を人に隠そうとしていた。おそらく自分でもあまりそれを考えたくなかったのであろう。彼女は自分を啄《ついば》んでるとわかってるその病気を恐れていて、それから考えをそむけていた。彼女の全努力は、最後の数か月の平和な気持を乱すまいとすることだった。終焉《しゅうえん》は人が思ったよりも早かった。彼女はやがてジャックリーヌのほかはだれにも会わなくなった。つぎには、ジャックリーヌに会う時間もしだいに短くならざるを得なかった。つぎには、いよいよ別れる時が来た。マルトは、数週間以来離れたことのない寝床に横たわって、ごく静かな慰めの言葉で、その小さな友だちにやさしく別れを告げた。それから、彼女は室に閉じこもって、死んでいった。
ジャックリーヌは幾月も絶望のうちに過ごした。彼女はその精神的|苦悶《くもん》からマルト一人によって守られていたのであるが、ちょうどその苦悶のもっともひどいときにマルトに死なれたのだった。彼女はすっかり見捨てられた心地がした。何か自分の支持となる信仰でもあればよかった。そしてその支持も欠けてはいないはずだった。いつも宗教的な務めを行なわせられていた。母もまたそれを几帳面《きちょうめん》に行なっていた。しかしそれが問題だった。母は宗教上の務めを行なっていたが、叔母《おば》
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