《とびら》を開いた。クリストフがはいって来た。彼はひどく感動していた。彼女はやさしく彼の手をとった。
「どうなすったの?」と彼女は尋ねた。
「あの、オリヴィエがもどって来たんです。」と彼は言った。
「もどっていらして?」
「今朝やって来ました。『クリストフ、助けてくれ!』と言うんです。僕は抱擁してやりました。泣いていました。『僕にはもう君だけだ、彼女は行ってしまった、』と彼は言いました。」
 アルノー夫人はびっくりして、両手を握り合わして言った。
「まあ不仕合わせなお二人ですこと!」
「彼女は行ってしまったんです、」とクリストフはくり返した、「情夫といっしょに。」
「そしてお子さんは?」とアルノー夫人は尋ねた。
「夫も子供も置きざりです。」
「まあ不仕合わせな女《ひと》ですこと!」とアルノー夫人はまた言った。
「オリヴィエは彼女を愛していました、」とクリストフは言った、「彼女だけを愛していたんです。もうその打撃からふたたび起《た》ち上がることはできますまい。『クリストフ、僕は彼女から裏切られた……僕のいちばんよい友から裏切られた、』とくり返し言うんです。僕は言ってやりました。『君を裏切った以上は、彼女はもう君の友ではないのだ。君の敵なのだ。忘れてしまえよ、そうでなけりゃ殺してしまえよ。』とそう言っても、甲斐《かい》がないんです。」
「ああ、クリストフさん、何をおっしゃるんです! あまりひどいことじゃありませんか。」
「ええ、それは僕にもわかっています、あなたがたには殺すということが、歴史以前の野蛮行為のように思われるでしょう。このパリーのきれいな人たちは、牡《おす》が自分を裏切った牝《めす》を殺そうとする畜生的な本能にたいして、いろいろ抗弁して、寛大な理性を説くんですね。なるほどりっぱな使徒です! この雑種の犬どもの群れが、動物性への逆転を憤るのは、実にりっぱな見物ですよ。彼らは生活を侮ったあとに、生活からその価値をすべて奪い去ったあとに、宗教的な崇拝で生活を包むのです……。心情も名誉もない生活、単なる物質、一片の肉体の中の血液の鼓動、そんなものが彼らには尊敬に催するのだと思えるのでしょう。すると彼らはあの肉屋の肉にたいして、十分敬意を払っていませんね。それに手を触るるのは一つの悪罪でしょう。魂を殺すなら殺すがいい、しかし身体は神聖なものだとでも……。」
「魂を殺すのはもっとも悪い殺害です。けれども、罪は罪を許しません。あなたもそのことはよく御存じでしょう。」
「知っています。あなたの言われることは道理です。僕はよく考えもせずに言ってるのです……。けれど、おそらく僕はそのとおりのことをやりかねないんです。」
「いいえ、あなたは自分で自分をけなしていらっしゃるのですよ。あなたはいい人ですもの。」
「僕は熱情に駆られると、やはり他人に劣らず残酷になります。ねえ、僕は先刻《さっき》どんなにか怒《おこ》ってたでしょう!……自分の愛する友人が泣くのを見ては、彼を泣かしてる者をどうして憎まずにいられましょう? 子供をも見捨てて情夫のあとを追っかけていった浅ましい女にたいしては、いくら苛酷《かこく》にしてやってもまだ足りないではないでしょうか。」
「そんなふうにおっしゃるものではありません、クリストフさん。あなたにはよくわからないのです。」
「えッ! あなたはあの女の肩をもたれるのですか。」
「私はあの女《ひと》をお気の毒に思います。」
「僕は苦しんでる人たちをこそ気の毒だと思うんです。人を苦しめる奴《やつ》らを気の毒だとは思いません。」
「じゃああなたは、あの女《ひと》もやはり苦しんだとはお考えになりませんか。単に浮気のせいで、子供を捨てたり生活を破壊したりされたのだと、お思いになりますの。あの女《ひと》自身の生活も破壊されたのではありませんか。私はあの女《ひと》をあまりよくは知りません。お目にかかったのも二度きりで、それもほんのついでにだったんです。私に親しい言葉もおかけになりませんでしたし、同情ももっていられませんでした。それでも私は、あなたよりもよくあの女《ひと》の心を知っています。悪い方《かた》でないことを確かに知っています。かわいそうな方ですわ。あの女《ひと》の心中にどういうことが起こったか、私には察しられます……。」
「りっぱな正しい生活をしていられるあなたに!……」
「ええ私に。あなたにはわからないのです。あなたはいい方だけれど、男ですもの。やさしくはあっても、みんな男の人と同じように、やはり頑固《がんこ》なのです――自分以外のものには少しも察しがないのです。あなたがた男の人は、自分のそばにいる女の心を、夢にも御存じありません。自己流に女を愛してはいらっしても、少しも女を理解しようとはされません。たやすく自分だけに満足してい
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