う魅惑されたのだった。この上もなく純潔なおりの恋愛とも言えるもので、彼女はその娘を愛した。その娘から触《さわ》られるのを感ずると、息がつまるほど感動した。その娘の足に接吻《せっぷん》し、その娘の愛子となり、またその娘と結婚したかった。がその偶像は、やがて結婚し、幸福な目にも会わず、子供を一人もち、その子供も死に、自分も死んでしまった……。また十二歳のころ、同年配の他の娘にたいする恋。その娘はいつも彼女をいじめてばかりいた。悪戯《いたずら》な快活な金髪の娘で、彼女を泣かすのを面白がり、泣かしたあとではやたらに接吻してくれた。二人はいっしょに、架空的な未来の計画をいろいろたてていた。がその友は、なぜか突然に、カルメル会の尼となってしまった。幸福に暮らしているそうだった……。つぎには、ずっと年上のある男にたいする深い情熱。この情熱についてはだれも知らなかったし、当の男でさえもそれを知らなかった。しかし彼女はそこで、献身の熱誠を、情愛のいろんな宝を、費やしたのだった……。それから、なおも一つの情熱、こんどは向こうから彼女を愛していた。しかし彼女は、妙な臆病《おくびょう》さのために、自信の念の乏しさのために、愛せられてるのを信ずることもできなかったし、愛してる様子を示すこともできなかった。そして幸福は、つかまれずに過ぎ去ってしまった……。つぎには……しかし、自分だけにしか意味のない事柄を他人に語ったとてなんの役にたとう? 彼女には深い意味をもたらしたものも、実際はいろんなつまらない事柄ばかりだった。友が払ってくれた注意、オリヴィエがなんの気もなく言ったやさしい一言、クリストフの親切な訪問、彼の音楽が喚《よ》び起こしてくれた楽しい世界、見知らぬ人の一|瞥《べつ》など。この正直な純潔なりっぱな女である彼女のうちにも、ある知らず知らずの不実な考えがあるのだった。彼女はそれに心乱され、それを恥ずかしく思い、わずかに避けていたが、それでもやはり――罪のないことなので――そのために多少心を輝かされた……。彼女は夫を深く愛していた。夫は彼女の夢想どおりの人ではなかったけれども、至って善良だった。ある日彼は彼女に言った。
「ねえお前、お前が私にとってどんなものであるかは、お前にはわかるまい。お前は私の生活のすべてなのだ……。」
彼女の心はすっかり解けたのだった。その日彼女は、永久にすっかり彼と結合した心地がした。そして二人は年ごとにますます密接に結びついた。いっしょに美《うる》わしい夢想を描いた。仕事や旅行や子供の夢想だった。そしてそれはどうなったか?……悲しいかな!……でもアルノー夫人はやはり夢想をつづけていた。夢想の中に一人の子供がいた。彼女はその子供のことを、あまりにしばしばあまりに深く考えたので、実際そこにいるかのようによく知っていた。幾年となくそのほうへ考えを向けて、自分の見たもっとも美しいものや自分の愛したもっともかわいいもので、たえずそれを飾りたてていた……。そして、沈黙!……
それがすべてだった。それが彼女の世界だった。ああいかに多くの人知れぬ悲劇が、もっとも深い悲劇さえもが、外観は至って静穏平凡な生活の奥に、隠れていることであろう! そしておそらくもっとも悲壮なのは、それら希望の生活のうちに、何事も起こらない[#「何事も起こらない」に傍点]ということである――自分の権利であるところのものに向かって、自然から約束されそして拒まれた自分の所有物であるところのものに向かって、絶望的な叫びをあげ――熱烈な苦悩のうちに身をさいなみ――しかも外部にその様子を少しも示さない――それら希望の生活のうちに、何事も起こらない[#「何事も起こらない」に傍点]ということである。
アルノー夫人は自分の幸福のために、自分のことばかりに没頭しているのではなかった。彼女の生活は、彼女の夢想の一部をしか満たしていなかった。彼女はなお、今知ってる人々や昔知った人々の生活をも、みずから生活していた。それらの人々の地位に身を置いていた。クリストフのことを考え、友のセシルのことを考えていた。今日も彼女はセシルのことを考えていた。二人はたがいに愛情をいだいていた。不思議なことには、二人のうちの強健なセシルのほうがいっそう、かよわいアルノー夫人によりかかりたがっていた。この快活な丈夫な大きな娘は、実は、見かけほど強くはなかった。彼女はちょうど危機を通っていた。もっとも沈着な心の人でさえ、意外な羽目に陥ることがある。彼女のうちにはごくやさしい一つの感情がはいり込んでいた。彼女は初めそれを認めたくなかった。しかしそれはしだいに大きくなってきて、眼に留めないわけにゆかなくなった――彼女はオリヴィエを愛してるのだった。その若者の静かなやさしい振る舞い、その身体つきのやや女性的な美《
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