るのだ。そして彼女は、オリヴィエとの共同生活から得た道徳的な一徹さをまだ失わないでいて、それを不道徳な行ないにまで応用しようとしていた。
彼女の新しい友人らはきわめて用心深くて、自己の真相をなかなか他人に示さなかった。理論の上では、道徳と社会とのもろもろの偏見にたいして、完全なる自由を看板としていたが、実行においては、自分らの利益となるような人とは、真正面から仲違《なかたが》いすることのないように振る舞っていた。あたかも主人のものをごまかす不忠実な召使のように、彼らは道徳と社会とを悪用していた。習慣と閑散とのためにたがいに盗み合ってさえいた。自分の妻が情夫をもってることを知ってる者が幾人もいた。また細君のほうでも、夫が情婦をもってることを知らないではなかった。そして彼らはよく和合していた。人の噂《うわさ》がたたなければ憤慨しなかった。そういう仲のよい夫婦生活は、関係者たち――共犯者たちの間の暗黙な了解の上にたっていた。しかしジャックリーヌは彼らよりいっそうまっ正直であって、生一本《きいっぽん》な行動をしていた。一にも二にも真面目《まじめ》であり、常住不断に真面目だった。真面目ということもまた、当時の思想が激賞する美徳の一つだった。しかし、健全なる者にとってはすべてが健全であり、腐敗せる心にとってはすべてが腐敗であるということは、ここにおいて見られるのである。時としては、真面目であることがきわめて醜悪になる。凡庸な者どもにとっては、自分の胸底を読み取ろうとするのは悪いことである。彼らはそこに自分の凡庸さを読み取る。しかも自尊心を育てるだけのものはなお残っている。
ジャックリーヌは、鏡で自分の姿をながめてばかりいた。見ないほうがよろしいいろんなことを見て取った。見てしまった後ではもう、それから眼をそらすだけの力がなかった。それらを征服するどころか、それらがしだいに大きくなるのを認めた。非常に大きくなっていって、ついには眼も考えもそのほうに奪われてしまった。
子供は彼女の生活を満たすに足りなかった。彼女は乳が不足して、子供は衰えていった。乳母《うば》を雇わなければならなかった。初めはそれがたいへんつらかった――が間もなくそれは安堵《あんど》の念をもたらした。もう子供はたいへん丈夫になった。根強く元気に育ってゆき、少しも手数をかけず、たいてい眠ってばかりいて、夜もあまり泣かなかった。乳母――強健なニヴェルネー人で、幾度か子供に乳をやったことがあるが、そのたびごとに、動物的な嫉妬《しっと》深い煩雑な情愛を、乳児にたいしていだくのであった――その乳母のほうが、ほんとうの母親のようだった。ジャックリーヌが何か意見を言っても、乳母は勝手なことばかりしていた。ジャックリーヌは、いろいろ言い争ってみると、自分が何にも知っていないことに気づくのだった。彼女は子供を産んでから、健康が回復していなかった。初期の静脈炎《じょうみゃくえん》のために、がっかりして根気がなかった。幾週間もじっとしていなければならなくて、もどかしがっていた。焦燥した考えは、単調な幻覚的な同じ悲嘆をいつまでも繰り返していた。「ほんとうに生きたこともなかった、生きたこともなかった。そしてもう一生は終わってしまった……。」彼女の想念はいらだたせられていた。自分は永久に不具者になったのだと思っていた。そして、暗黙な苛辣《からつ》な口に出せない怨恨《えんこん》が、病苦の無辜《むこ》な原因者にたいして、子供にたいして、起こってきた。それは、人が思うほど珍しい感情ではない。ただ人はその上に覆《おお》いをかぶせてるだけである。それを実際に感じてる女たちでさえ、心の奥底でそれを承認するのを恥としている。ジャックリーヌは、みずから自分をとがめた。利己心と母性愛との間に争いが起こった。子供がいかにも幸福そうに眠ってるのを見ると、彼女の心は動かされた。しかしすぐそのあとで彼女は苦々《にがにが》しく考えた。
「この子が私を殺したのだ。」
そして彼女は、自分の苦しみで幸福を購《あがな》ってやったその子供の、無関心な眠りにたいするいらだたしい反抗を、押えつけることができなかった。彼女の身体が回復し子供が少し大きくなってからも、そういう敵意ある感情はおぼろげながら残っていた。彼女はその感情をみずから恥じたので、それをオリヴィエのせいだとした。彼女はやはり自分は病気であると思っていた。そして、病気の原因たる無為閑散――(子供からは離れ、働くことを強《し》いて禁ぜられ、まったく孤立してしまい、脂肪太りにされる家畜のように、寝床に長くなったまま腹いっぱい食わせられて過ごす、むなしい日々)――それを医者たちから勧められてますます生じてくる、いろんな不安、健康にたいする絶えざる懸念、などはついに彼女をして自分の
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