いけないのは、身を縛《いまし》めない束縛やのがれ得る義務などをもってることである。
 もしジャックリーヌが、自分の小さな家こそ一生の間自分にあてがわれたものだと思っていたならば、彼女はそれをさほど不便にも狭くも感じなくて、それを安楽なものにしようとくふうしたであろう。始めと同じように終わりまでそれを愛したであろう。しかし彼女は、自分は家から外に出ることができると知っていた。そして家の中で息苦しさを覚えた。彼女は反抗することができた。ついには反抗しなければならないと信ずるにいたった。
 現時の道徳論者らは、不思議な者どもばかりである。彼らはその観察能力のために全身が萎縮《いしゅく》している。彼らはもはや生活を見ることしか求めない。生活を理解しようとはほとんどせず、生活を欲しようなどとは少しもしない。人間の性質中に現存する事柄を認識し記載するときには、もう自分の仕事はそれで終われりとして、こう言うのである。
「それが事実だ。」
 彼らはその事実を変えようとは少しもつとめない。彼らの眼には、存在してるというだけの事実が一つの道徳的価値とでも映じてるらしい。あらゆる弱点はそのまま一種の神聖な権利を有してるように思われてる。世は民衆化する。昔は国王一人だけしか責任をもっていなかった。現今では、責任をもっていないのは万人であり、ことに下層民たちであるそうだ。実に驚くべき意見ではないか! 彼らは、多くの苦心と細心な注意とを払って、弱き者にいかなる点において弱いかを示そうと骨折っている。弱き者は永遠に弱きように自然から定められてるということを、示そうと骨折っている。もしそうだとすれば、弱き者は腕を拱《こまね》くこと以外に何をなし得よう? 弱き者に自惚《うぬぼ》れの念なきときは幸いなるかなだ! 汝は病弱な子供であるとくり返し聞かせらるるうちには、女はついに病弱なる子供であることを誇りとするようになる。人は女の卑怯《ひきょう》な性質を培養し、それに花を咲かせている。しかし、試みに子供に向かって、幼年期のある年齢では、魂はまだその平衡の状態になっていないで、罪悪や自殺や心身のはなはだしい堕落に陥ることがあると、冗談にも話してきかして、そしてその罪を許してみるがいい――ただちに、罪が生まれてくるだろう。男でさえも、汝は自由でないとくり返し言われるときには、もう自由でなくなって禽獣《きんじゅう》に等しくなる。女に向かって、汝は責任を帯びており、自分の身体や意志の主人であると、言ってみるがいい――女は実際にそうなるであろう。しかし諸君は卑怯なあまりに、それを言うのを差し控えている。なぜなら、女がそのことを知らないのが諸君に利益だからだ……。
 ジャックリーヌは、その悲しむべき環境のために迷わされてしまった。彼女はオリヴィエから離れると、若いころ軽蔑《けいべつ》していたあの社会にまたはいり込んでいた。彼女や彼女の友人たる既婚婦人らのまわりには、若い男女の小さな社会ができ上がっていた。それらの若い男女はみな、富裕で、優美で、閑散で、怜悧《れいり》で、気弱だった。そこでは思想も話題も絶対に自由であって、ただ機知を交えられるために多少穏和になってるのみだった。一同は好んでラブレーの僧院の銘言を採用していた。

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好きなことをやるべし[#「好きなことをやるべし」に傍点]
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 しかし彼らは多少|自惚《うぬぼ》れてるのだった。実際のところ大したことを望んではしなかった。テレームの衰弱者どもばかりだった。喜んで本能の自由を公言していた。しかし彼らのうちには、その本能がひどく衰微していた。彼らの放縦《ほうしょう》は主として頭脳的なものだった。文明の逸楽的な気のぬけた大|浴槽《よくそう》の中に浸り込む気持を、彼らは享楽していた。そのなまぬるい泥濘《でいねい》の浴場では、人間の精力、荒々しい生活力、原始的な動物性、その信仰や意志や熱情や義務の花などは、溶解してしまっていた。そういうゼラチンめいた思想の中に、ジャックリーヌの美しい身体は浴していた。オリヴィエはそれを妨げることができなかった。そのうえ彼自身も時代の病気にかかっていた。彼は愛する女の自由を拘束する権利が自分にあるとは思っていなかった。愛によってでなければ何物も得ようとは欲しなかった。そしてジャックリーヌは、自分の自由は自分の一つの権利であると思っていたので、オリヴィエの態度を別に感謝してもいなかった。
 もっともいけないことには、彼女はその水陸|両棲《りょうせい》的な世界のうちに、あらゆる曖昧《あいまい》をきらう全き心をもってはいり込んでいた。彼女は一度信ずると、それに身を投げ出すのだった。熱烈で勇敢な彼女の小さな魂は、その自己主義の中においてさえ、がむしゃらに突進す
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