っこく尋ねた。パリーにたいして好奇心と軽蔑《けいべつ》とを同じくらいにいだいていた。フォリー・ベルジュール座とオペラ座とモンマルトルとサン・クルーとを見たことがあるので、パリー全体を知ってると称していた。彼女の説によれば、パリーの女はみな娼婦《しょうふ》でよからぬ母親で、できるだけ子供を産まないし、子供を産んでもその世話をせず、家に打ち捨てておいて、自分は芝居や遊び場所に出入りしてるのであった。彼女はそれに反対されるのを許さなかった。その晩彼女は、クリストフへピアノで一曲演奏を求めた。彼をみごとな腕前だと賞賛した。けれど心の底では、夫の演奏にも同様に感心してるのだった。
クリストフがうれしかったのは、ミンナの母親ケリッヒ夫人に再会したことだった。彼はまだ彼女にたいしてひそかな愛情をもっていた。なぜなら彼女から親切にされたのだったから。彼女はやはりその温良さを少しも失わないでいた。そしてミンナよりいっそう自然だった。しかし彼女はやはりクリストフにたいして、昔彼をじれさしたあのちょっとしたやさしい皮肉を見せつけた。彼女は以前別れたときと少しも違っていなかった。あのときと同じ事柄を好んでいた。進歩したり変わったりすることを、彼女は許容できないらしかった。彼女は昔のジャン・クリストフと今日のジャン・クリストフとを対立さしていた。そして前者のほうを好んでいた。
彼女の周囲では、クリストフを除いてはだれも精神の変化をきたしてるものはいなかった。小都会の無変化やその天地の狭小さが、クリストフには苦しかった。一家の人たちは彼が知りもしない人々の悪口をもち出して、その晩の一部をつぶした。彼らは近所の人々の滑稽《こっけい》さをうかがってばかりいて、自分たちと違ってるものはみな滑稽だとしていた。たえずつまらぬことばかりにこだわってる不親切なそういう好奇心は、ついにクリストフに堪えがたい不快の念を起こさした。彼は外国での自分の生活を話そうと試みた。しかしすぐに、フランス文明を彼らに感じさせることが不可能なのを知った。フランス文明に彼は苦しめられてきたが、今自国においてそれを代表してると、至ってなつかしいものに思えるのだった――知力を第一の法則とする自由なラテン精神、「道徳」の規範を犯してまでできるだけ理解せんとする心。彼は一家の人たちのうちに、ことにミンナのうちに、自分が昔それから傷つけられながら忘れていたあの傲慢《ごうまん》な精神を、ふたたび見出したのだった――弱点と美点とから共に来る傲慢さ――自分の徳操を誇り自分が陥ることのない過失を軽蔑《けいべつ》する、その無慈悲な正直、申し分なきことにたいする尊重、「不規則な」優秀さにたいする顰蹙《ひんしゅく》的な軽蔑。ミンナは常に自分が正しいという落ち着いたもったいぶった確信をいだいていた。他人を批判するのになんらの度合いをも設けなかった。それに元来他人を理解しようとの念がなかった。自分のことばかりにかかわっていた。彼女の利己主義は漠然《ばくぜん》たる抽象的な色に塗られていた。「自我」が、「自我」の発展が、たえず問題であった。彼女はおそらく善良な女で人を愛することもできたであろう。しかし自分自身をあまりに愛していた。ことに自分自身をあまりに尊敬していた。「自我」の前で主の[#「主の」に傍点]祷《いの》り[#「り」に傍点]や聖母の祷り[#「聖母の祷り」に傍点]をたえず唱えてるがようだった。彼女が最愛の夫でも、彼女の「自我」の品位に相当した尊敬をたとい一瞬間でも欠くならば――(そのあとで彼がどんなに後悔しようとも)――彼女はまったくそして永久に彼を愛しやめるかもしれないらしかった……。ああ、その「自我」こそは悪魔にでもいってしまうがよい! 少しは「他」を考えるがよい!……
けれどもクリストフは、きびしい眼で彼女を見てはいなかった。平素はあれほどいらだちやすい彼だったが、今は大天使のような我慢強さで彼女の言葉を聞いていた。彼は彼女を批判すまいと心にきめていた。円光のごときもので、幼時の敬虔《けいけん》な思い出で、彼女を包んでおいた。そしてあくまでも彼女のうちに、小さなミンナの面影を求めようとした。それを彼女のある身振りのうちに見出せないではなかった。彼女の声音のある響きは、彼の心を動かす反響を喚《よ》び起こした。彼はそれらのもののなかに浸り込みながら、口をつぐみ、彼女の言葉には耳を貸さず、聴《き》いてるようなふうを装い、たえずやさしい敬意を示してやった。しかし気を一つに集めるのは困難だった。彼女はあまりに騒々しかった。彼女は昔のミンナの声を聞く邪魔となった。ついに彼は少し疲れて立ち上がった。
「可憐《かれん》なるミンナよ! お前がここにいることを、喚《わめ》きたてて僕を退屈させるこの美しいでっぷりした女のな
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