いていいつもなし得るものである。そして相手がそれに気づくと、二人の友情はそれで終わる。彼らはもう前と同じ眼でたがいに見はしない。――そういう危険な遊びをやる女のほうは、たいていそれきりのこととして、より以上を求めはしない。彼女は離反した二人を勝手に取り扱うだけである。
 クリストフはジャックリーヌのやさしい態度を見てとった。しかしそれを少しも驚きはしなかった。彼はだれかに愛情をいだいているときには、やはり向こうからもなんらの下心なしに愛されるのが自然であると、率直に思いがちだった。彼は若夫人の歓待に喜んで応じた。彼女を愉快に思った。彼女を相手に心から楽しんだ。そして彼は彼女をひどく好意的に判断したので、オリヴィエが幸福になり得ないとすれば、それはオリヴィエの間抜けなせいだと、考えざるを得ないほどだった。
 彼は二人に従って数日間の自動車旅行をした。そしてランジェー家がブールゴンニュにもっていた別荘の客となった。それは昔一家の者が住んでいた古い家で、記念のために取っておかれたけれど、ほとんどだれも行く者がなかった。葡萄《ぶどう》畑や林の中に孤立していた。内部は破損していて、窓もよく合わさっていなかった。黴《かび》や、熟した果実や、涼しい影や、日に暖まった樹脂《やに》多い木立、などの匂《にお》いがしていた。クリストフは、数日間引きつづいてジャックリーヌといっしょに暮らすうちに、しみじみとしたやさしい感情からしだいにとらえられた。彼はそれにたいして少しも不安をいだかなかった。彼女の姿を見、その声を聞き、その麗わしい身体に触れ、その口から出る息を吸って、彼は潔白なしかし無形的ではない一つの快さを覚えた。オリヴィエはやや気にかかりながらも黙っていた。彼は少しも疑念をいだきはしなかった。しかしある漠然《ばくぜん》たる不安に苦しめられた。そうだと自認するのも恥ずかしかった。みずから自分を罰するために、しばしば二人だけをいっしょにさしておいた。ジャックリーヌはその心中を読みとって、心を動かされた。彼にこう言ってやりたかった。
「ねえあなた、心配なさらなくてもいいわ。私はまだあなたをいちばん愛してるのよ。」
 しかし彼女はそれを口に出さなかった。そして三人とも事の成り行きに任していた。クリストフは何にも気づいていなかった。ジャックリーヌは自分が何を望んでるかはっきり知らないで、それを明らかにすることは偶然の手に任していた。ただオリヴィエだけは、ある先見と予感とをもってはいたが、自尊心と愛とを汚したくないので、そのことを考えないようにしていた。けれど、意志が黙るときには本能が口をきく。魂の不在中には身体が勝手な道を進む。
 ある晩、夕食のあと、いかにも美しい夜だと思われたので――月のない星の輝いた夜だった――彼らは庭を散歩したくなった。オリヴィエとクリストフとは家から出た。ジャックリーヌは肩掛を取りに自分の室へ上がった。それからもう降りて来なかった。クリストフはいつに変わらぬ女の緩漫さを悪口言いながら、彼女を捜しにまた家の中へ引き返した。――(しばらく前から彼は自分で気にもかけずに夫らしい役目をしていた。)――彼は彼女がやって来る足音を聞いた。彼がいる室は雨戸が閉まっていた。何にも見えなかった。
「さあ、いらっしゃいよ、気長奥さん。」とクリストフは快活に叫んだ。「あんまり鏡を見てると、鏡が磨《へ》りますよ。」
 彼女は返辞をしなかった。立ち止まっていた。クリストフは彼女が室の中にいるような気がした。しかし彼女は身動きもしなかった。
「どこにいるんです?」と彼は言った。
 彼女は答えなかった。クリストフも口をつぐんだ。彼は暗い中を手探りで進んでいった。ふとある心配が彼をとらえた。彼は動悸《どうき》しながら立ち止まった。すぐそばにジャックリーヌの軽い息づかいが聞こえた。彼はなお一歩進んで、ふたたび立ち止まった。彼女はすぐそばにいた。彼はそれを知っていた。しかしもう進むことができなかった。数秒の沈黙。と突然、二つの手が彼の手をとらえて、彼を引き寄せた。口と口と合わさった。彼は彼女を抱きしめた。一言もなく、じっとしていた。――二人の口はたがいにもぎ離された。ジャックリーヌは室から出て行った。クリストフはおののきながらあとに従った。彼の足は震えていた。彼はちょっと壁によりかかって、血潮の激動が静まるのを待った。やがて彼は二人のところへ行った。ジャックリーヌはオリヴィエと平気で話していた。二人は彼の数歩先に歩いていた。クリストフは押しつぶされた心地であとから従った。オリヴィエは立ち止まって彼を待った。クリストフも立ち止まった。オリヴィエは彼を親しく呼びかけた。クリストフは返辞をしなかった。オリヴィエは友の気質を知っていたし、ときどき気まぐれな沈黙の中に堅く閉
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