た。「しかし僕はまだやはり人を信用しています。」
「そうでしょう。あなたは生まれつきの馬鹿正直に違いないんですもの。」
 彼は笑い出した。
「そうです、僕はいつも一杯食わされてばかりいます。しかし閉口しやしません。丈夫な胃袋をもってるんです。どんな大きな畜生だって、どんな困窮や悲惨だって、構わずのみ下してやるんです。場合によっては、打ちかかってくる悪漢をものみ下してやります。そしてますます丈夫になるばかりです。」
「あなたは仕合わせよ、」と彼女は言った、「男ですもの。」
「そしてあなたは女ですよ。」
「女なんて大したことじゃありません。」
「いや素敵なことです。」と彼は言った。「それはまた、いいことかもしれません。」
 彼女は笑った。
「それ[#「それ」に傍点]が!」と彼女は言った。「けれど世間では、それ[#「それ」に傍点]をどんなふうに取り扱ってるでしょう?」
「自分で自分の身を守らなければいけません。」
「そしたら、親切なんか長つづきはしませんよ。」
「それは人が親切を十分にもっていないからです。」
「おっしゃるとおりかもしれませんわ。そしてまた、あまり苦しんでもいけませんわね。度が過ぎると、魂が干乾《ひから》びてしまいますのね。」
 彼は彼女を気の毒に思いかけた。それから、先刻どんなふうに取り扱われたかを思い出した……。
「あなたはまだ、慰め役は儲《もう》け役などと言うつもりですか。」
「いいえ、」と彼女は言った、「もう言いませんわ。あなたが親切で真面目《まじめ》だということは、私にもわかってますもの。お礼申しますわ。ただ何にも言わないでくださいな。あなたにはわからないんです……。ありがとうございました。」
 二人はパリーに着いた。たがいに住所も告げず訪《たず》ねて来てほしいとも言わずに、そのまま別れた。
 それから一、二か月後に、彼女自身クリストフを訪れてきた。
「お目にかかりに来ました。少しあなたとお話ししたいんですの。あのときお会いしてから、私はときどきあなたのことを考えましたね。」
 彼女は席についた。
「ほんのちょっとの間。長くお邪魔はしませんわ。」
 彼は彼女に話しかけた。彼女は言った。
「ちょっと待ってくださいな。」
 二人は黙った。つぎに彼女は微笑《ほほえ》みながら言った。
「がっかりしてましたの。もうよくなりましたわ。」
 彼は尋ねかけようとした。
「いえ、」と彼女は言った、「そんなことはいいんです。」
 彼女はあたりを見回し、いろんな品物を見つけ出し批判した。それからルイザの写真を見つけた。
「お母《かあ》さんですか。」と彼女は言った。
「ええ。」
 彼女はそれを手に取って、しみじみとながめた。
「いいお婆《ばあ》さんね。あなたは仕合わせですわね。」
「でも、もう亡くなったんです。」
「そんなことは構いませんわ。とにかくこんなお母さんがあったんですもの。」
「ではあなたは?」
 しかし彼女はちょっと眉《まゆ》をひそめてその話を避けた。自分のことを聞かれるのを好まなかった。
「いえ、あなたのことを話してください。私にきかしてくださいよ……何か身の上のことを……。」
「そんなことをきいてどうするんです?」
「いいから話してちょうだいよ……。」
 彼は話したくなかった。しかし彼女の問いに答えないわけにはゆかなかった、聞き方がたいへん上手《じょうず》だったので。そしてちょうど、心悲しかったある種の事柄、友情の話や別れ去ったオリヴィエの話などを語ってしまった。彼女は憐《あわ》れみと皮肉とのこもった微笑を浮かべて、耳を傾けていた。……と突然、彼女は尋ねた。
「何時でしょう? まあー! 二時間もいましたのね。……ごめんください……。ほんとに心が休まりましたわ。」
 彼女は言い添えた。
「またお伺いしたいんですの……たびたびでなく……ときどき……。お話を聞くと私のためになりますの。でも私は、お邪魔をしたくありませんわ。お時間をつぶしたくありませんわ……。でほんのしばらくの間、たまにね……。」
「僕のほうから伺いましょう。」とクリストフは言った。
「いえいえ、いらしちゃいけません。お宅のほうがいいんですの……。」
 しかし、その後彼女は長らくやって来なかった。
 ある晩彼は、彼女が重い病気になっていて、もう数週間前から芝居にも出ていないことを、ふと聞きこんだ。来るなと言われていたけれど、それでも訪《たず》ねていった。面会は断わられた。けれど名前が通じられると、彼は階段の上で呼びもどされた。彼女は床についていた。快方に向かっていた。肺炎にかかったのだった。かなり様子が変わっていた。けれどやはり、人を近づけない皮肉な様子と鋭い眼つきをしていた。それでもクリストフを見ると、ほんとうにうれしげなふうを示した。彼を寝台の近くにす
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