ずから思うときには、彼らは用心深く身を退《ひ》いて、あたかも罪人にたいするように苦しんでる者にたいして、その周囲に空虚を作り出す。そして彼をあまり助けてやらないことをみずからひそかに恥じているので、ますます助けてやらなくなる。向こうに自分を忘れさせようとつとめ、自分でも自分を忘れようとつとめる。そしてもし、煩わしいその不幸が執拗《しつよう》につづくならば、不謹慎な訴えが自分の隠れ家へまではいって来るならば、悩みに堪えきれないでいるその勇気のない男にたいして、苛酷《かこく》な批判をくだすようになってくる。そしてその男は、不幸に圧倒されてしまうときには、友人らの心からの憐憫《れんびん》の情の底に、つぎの軽蔑《けいべつ》的な裁断を見出すに違いない。
「気の毒な奴だ。俺《おれ》は彼をもっとしっかりした男だと思っていた。」
そういう普遍的な利己心のうちにおいて、ちょっとしたやさしい言葉や、細やかな一つの注意や、憐《あわ》れみをたたえた愛の眼つきなどが、いかに得も言えぬ慰安を人に与えることだろう。人はそのときに初めて温情の価値を感ずる。そして他のすべてのことは、温情に比較してはいかにも貧弱に思われるのである。……この温情のためにオリヴィエは、友のクリストフによりも、いっそう多くアルノー夫人に接近していった。でもクリストフは、つとめてりっぱな忍耐を事としていた。彼は愛情の心からして、オリヴィエにたいする自分の考えを隠していた。しかしオリヴィエは、苦しみのために鋭敏になってる眼で、友の心中になされてる戦いを見てとり、自分の悲しみが友にはいかに重荷となってるかを見てとっていた。そのためにこんどは彼をクリストフから遠ざけ、クリストフに向かってこう叫びたい気を彼に起こさした。
「僕から去ってくれたまえ。」
かくのごとく、不幸は往々にして愛し合ってる心をもたがいに離れさせるものである。唐箕《とうみ》が穀粒を選《え》り分くるように、不幸は生きんと欲する者を一方に置き、死せんと欲する者を他方に置く。愛よりもさらに強い恐るべき生の法則である。息子《むすこ》の死ぬのを見る母親、友のおぼれるのを見る人――もしその死んでゆく者たちを救い得ない場合には、彼らはやはり自分自身を救おうとして、いっしょに死にはしない。それでも彼らは、その死んでゆく者たちを、自分の生命より何倍となく愛しているのである……。
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